2008年12月30日火曜日

「無事はこれ貴人なり」

 無事(ぶじ)とは何事も無く(トラブルがなく)経過する(した)ことです。
旅行者にたいして、またしばらくの別れのときの言葉ですが、最近はあまり耳にしませんねー。
平和と安全が保障されている現代、”今日も一日無事だった!有難い!”という感じ方は減退しているようですが、戦争中の日本では(さらに時代を遡るほど)毎日無事に生きることは大変なことでした。

 僕も、焼夷弾の爆撃で一晩中火の中をさまよったり、廣島の原爆の前の晩に疎開したり、酒に酔っ払って大怪我をしたり、歯の異常で2-3年大変苦しい目にあったり・・・と、考えてみましたら「無事」でないことが度々ありました。今こうして生きているのがフシギな気がしています。

 大体、人間が、今、この世に生きている!!ということは「大変なこと」なのだなー」と、今頃、つくづく考えます。生きているのではない!生かされている!のだなーと思います。
「生かされている」のであったら、「お返し」をしなければならないのだなーという気がします。
誰にお返しをするのかと考えますと、「天・地・人、その他自分を今日まで生かしてくれている総てのもの」にですねー。
「お返し」は、心で、言葉で、物で、お金で、行動で、「なにか世のため人のため」に尽くすことなのでありましょう。<無財の七施という言葉があります。善行はお金が無くても出来るのですねー>
また、お返しは出来なくても、「感謝」は出来ますねー。

 ”何もいいことが無かったから感謝できない”ではなく、「無事」に一日を終えることが出来たら、それは素晴らしいことなのですねー。
「貴人」とは、貴い人、立派な人、すがやかな人、魂のレベルの高い人・・・と解釈しています。
今日一日、”無事”に過ごせたことはシアワセ!いいことは無くても悪いことが無ければ”幸せ!”少々悪いことがあっても、もっと悪いことが起きているよりシアワセ!・・・と、「シアワセ」の感じ方は色々あります。
こんなことを考えながら年の暮れを迎えています。
ニッコリと、有難く、感謝して生きてまいりましょう!!

2008年12月28日日曜日

「あたりまえ」の有難さ(

目が見えるのは当たり前、歩けるのは当たり前、食べられるのは当たり前、眠れるのは当たり前、大小便が出るのは当たり前・・・と、ほとんどの人は思っていると思います。
ですが、これらの生理機能が順調に働いているのは、実は「大変素晴らしい、大変有難い」ことなのですねー。
 長年人生を生き(生かされ!)、医師として沢山の健康な人や病気の人に接していますと、特にこのことが痛感される昨今であります。
始めに書いた「健康の条件」が、一つでも異常を起こすと、これは大変なことであります。

 若いときは細胞も若く、新陳代謝も順調であります。ほっておいても順調にいきます。が、年を取るほど次第にがたついてきたり、ぼろぼろ?になったりしてきます<この「老化現象」と言われるものは、遺伝的体質と、養生、心の持ち方、生き様の綜合によって、非常に個人差があります>

 日頃健康の維持増進に気をつけるのが「養生」であり、不幸にして病気になったら「早期発見・早期治療」が望ましいわけです。
病気が起こる前には何らかの「前駆症状」-だるい、疲れる、冷える、気分が悪い、食欲が無い、眠れない、肩がこる、大小便の排泄不具合、イライラする・・・などーがあり、それを善処しないで経過すると
「発病」と言うことになるわけです。<これらの症状だけでは病気とは言えませんが、「未病」という状態だと考えてください>

 現代社会はたいへん素晴らしい面も持っていますが、ストレスが充満した?社会でもあります。
心の安定を心がけ、「養生」-衣・食・住・運動と手入れ・心と人間関係ーを心がけ、「当たり前の有難さ」を心に銘じ、笑顔を忘れずに生きていこう!と考え、ささやかな努力を続けている次第であります。
「養生」に関しましては、私のホームページを見ていただけたら嬉しいです。
http://www.mishimaiin.jp/

2008年10月31日金曜日

仕事 休養 愛情 信仰

「人間(成人)は、毎日生きる中で、仕事・休養・愛情・信仰の四つが同じバランスであることが望ましい」と、いつか読んだ<アメリカの心理学者の言葉>ことを、折々思い出しています。
彼によると、この「生き方」が実行されると、丸い、円満な人格と人生が実現する。それは人間にとって<社会・国家にとっても>素晴らしい生き方である!!ということでした。

「仕事」は説明の必要は無いと思います。が、現在の日本では、「仕事をしている」よりも「仕事に追われている」と言う感じがありますし、目隠しされた馬車馬のように、仕事路線を突っ走っているようにも見受けられることです。(悪いことではありませんが、”余裕を持つことが望ましい”とこの学者は言っているのだと思います)

「休養」は、精神的・肉体的・時間的なそれがありますが、現代の日本では、アメリカの心理学者の言う時間よりもはるかに少ないような気がしています。

「愛情」は、身近な人間関係のことを言っているのだと思いますが、これは一言で説明するのは困難であります。が、夫婦・親子・兄弟姉妹・近親者・友人知人・会社や学校での人間関係を、暖かく、思いやりやいたわりあいを持って「お互いに”いい気持ち”で生きてゆくための心のあり方」の表現でありましょう。
愛情の無い人は人間ではないのだと思いますが、そして、愛情の無い人は無いのだと思いますが、「それの溢れた人、あるのに表現の少ない人、冷たい?人」が一般的には考えられます。
また、ある人に対しては暖かい、が、ある人に対しては冷たい!?という表現もあるようです。
愛情の表現には「遺伝」がからみます。で、その出現によって、同じ人でも、同じ人に対しても、あるときは暖かく、ある時は冷たく・・・という表現もあるようです。
いつでも、誰に対しても、暖かく接したいものであります。

「信仰」はこれまた説明が難しいものですが、また、彼がどういうつもりで語ったのか知りませんが、私は、「天地自然を尊崇し、ご先祖に感謝し、人間の奥底にある”生命”の尊厳性をお互いに尊びあう」ことが「信仰」の真意ではなかろうかと日々考えながら生きて<生かされて>います。
<これは大問題であり、また一人ひとりの考えが違うものであると<真実は一つであるにしても>考えますので、皆様、折々にお考えになってください>

「人間」とは誠に”フシギ”な生き物であります。
その本質の解明はなかなか出来ないものと考えますが、このような教えを、感じ、実践していますと、その一端に触れることが出来るのではないだろうか・・・という気がする昨今であります。

2008年10月8日水曜日

美しい上高地

 


 私は新婚旅行で「上高地」に行ってきました。ただし、この時は、「美しい上高地」の自然を鑑賞し味わう余裕は無かったようです。

子育ても終わり少し時間と余裕が出来ましたので、ここ数年、大好きな(なぜか大好きです)上高地を、年に1-2回(一泊のバスツアーですが)訪れています。

 上高地の自然はいつも変わりませんが、天候はその度変わります。
何回か訪れた上高地で、そのシンボルと言える「穂高連峰」の全容をを頂上まで見ることが出来たのは今回が初めてです。カンゲキしました。
 右の写真は大正池から見たもので、まだ少し頂上が雲に隠れていますが、こんなきれいな写真が撮れたのも初めてです(ちなみに、パナソのコンパクトデジカメで、3-4メガで撮りました。メガ数については、いつかまた説明したいと考えています。今、1000万画素!とか流行っていますが、私もいろいろやってみましたが、「3-4百万画素」できれいに撮れます。A3まできれいに印刷できます)
 左の写真はそのあと到着した「河童橋」からの眺めです。
 上高地についての感想を書こうと思ったのですが、これは次回にします。
今日は上高地ー穂高をご覧になってください。

 

2008年9月26日金曜日

「月の地平線を昇る地球」


今年5月、表題の写真をNHK tvで見ました。
ワッと驚いて、すぐにHDに収め、それをデジカメで撮ったのがこの写真です。
 世界で始めに宇宙飛行したソ連のガガーリン氏の帰還第一声”地球は青かった!!”が実感できますねー。
 「満地球の出」を撮影できるのは、地球と月と人工衛星(かぐや)が一直線に並ぶ年二回だけだそうです。
 我々の母なる「地球」は、宇宙空間に何の支えもなく浮いているのですねー。
そして、時速10万キロメートルのスピードで太陽の周りを回っているのですねー。
物凄いスピードなのに、音もしない、揺れもしない、がたつきもしない、海の水がこぼれもしない・・・
改めてフシギだなー!!と感じ入るものです。
 地球が出来て45億年、人類が誕生して30億年とか聞きますが、平凡な僕のアタマではなかなかピンとこない数字です。が、凄い年月をかけて、今の地球が、今の人間があるのだなー・・・ということは感じられます。
人間は、地上に生まれ、生き、いつか消えてゆく運命にあります。
「地球」という星も、生まれ、存在し、消滅する運命であるようであります。<ただし、人間のように数十年ではありません。「億」という単位でありましょう>
 が、最近、”地球の滅びる日”とか、”人類滅亡”とか、SF小説や映画で語られるようになってきました。これが天の声なのか、人間の妄想なのかよくわかりませんが、この3-40年間の、地球破壊、自然破壊、地球の温暖化、多発する戦争と内乱、人心の異常化(異常人間の増加)、水や食糧や物質の浪費・・・などを見ていますと、地球も人間もこのままでは映画を地でいくのではないだろうかと気になるところであります。
 なにはともあれ、地球に生かされている我々人間は、地球を汚さないように痛めないように傷つけないように日々心がけ、「人類は兄弟」という思いを新たにし、「世界は一家」も自覚して、この美しい地球で、みんな仲良く暮らすように心がけたいものであります。

2008年9月24日水曜日

生駒山麓風景



 私が住んでいる「生駒山麓」(東大阪市ー旧枚岡市ー大阪府の西端ー)は”おれの親父は生駒山・・・」と歌われた生駒山の西麓にあります。
この絵は我が家の窓から見た眺めで、左方の生駒山と右方の信貴山の中間を眺めています。
鉄柱は近鉄奈良線のものです。
 敬愛する画家が亡くなられ、それから何ヶ月した頃、”絵が描きたいなー”とフト思い立ちました(三十数年前)。
それから独学で、デッサン、クレパス、水彩、アクリル、と描き始めました。これなら油絵もいけそうだ・・・とキャンバス(ベルギー製!?)に向かいました。それからしばらくして出来上がったのがこの絵です。
嬉しくて!なんとなく気に入って、今も診察室にかけています。
”へー、これ先生が描いたの?ほんまに?”と言われるたびに、ニヤニヤしています。
 油絵は100年は変わらない、と言いますが、まだ描いたときと全く変わりません(絵の具とキャンバスには少し凝りました)
 手前の植え込みは隣家の庭ですが、今は木が切られ大きな水鳥小屋になり、左の大きな家は売られ、あとに家が何軒か建っています。
細かく見ればいくらか変化しましたが、全体的には「自然」も昔の良さも残っており、時々窓を開けて眺めています。<我が家には庭がありません。この「生駒信貴国定公園」が我が家の裏庭だなー・・・と、秀吉さんに習って思っています><ちなみに、秀吉は”日本中はわしの庭じゃ!!”と言ったとか聞いたことがあります>
 これからまた、絵や風景や花などを投稿してゆきますので、見てくださいね!

2008年9月23日火曜日

「為せば成る」

「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も、成らぬは人の 為さぬなりけり」
昔、小学校か中学校で聞いた話です。
 世の中には、大成した人、中成?した下人、小成?した人、はては成功できなかった人・・・といろいろあるようであります。<「成る」には、社会的なものと、個人的なものとがあると思います>
今も昔も、堂々と立派に生きてこられた人は、目的の方向性と努力が人の何倍-何十倍と凄かった結果であろうと、改めて敬意を表する次第であります。

 自分が今あるのは<職業・立場・家庭・健康など>、生後より今日までの努力の結果でありましょう。
今、喜び、感謝し、元気で仲良く生きているとしたら、それはあなたの努力の結果です。
もしも、この反対の状態であるのなら、それも自分の招いたものでありましょう。
良ければ更に良くなるように努力を続ける、良くなければ良くなるように努力する。
これが人間の生き方だ、と改めて感じる昨今であります。

 最悪!とも思える状況に生まれ、後に天下をとった「秀吉」という凄い先輩がおられます。
ナショナルの創設者の松下幸之助氏も、十代は厳しい環境を生きられたと聞いています。
人間が大成するのは、生まれではなく、志と、努力の量と方向性にあると感じるものであります。

 北京のパラリンピックが終わりました。手がない、足がない、見えないなどの悪条件を克服して、健常者も叶わないような凄い健闘ぶりでした。
「為せば成る」のお手本を示されたようで、感動しました。
メタルを取った方も取れなかった方も、みな爽やかな”いい笑顔”をしておられました。
選手たちの努力とエネルギーを見習って、これからの人生を「為して」いこうと感じた次第です。
選手とご家族の、益々のご健勝とご多幸を祈るものです。
 

2008年9月18日木曜日

最近の中学生の健康

 毎年春、小中学生の内科健診があります(当地、公立)。
長年行っていますが、今年、感じたことを書いて見ます(特に中学)。
1 背骨の異常が多い。
背中が丸い(後湾)・横曲がり(側湾)・ねじれなどを、半数以上認めました。
これは、姿勢が悪い<勉強するとき、テレビやゲームを見るときなど>、食事のビタミンやミネラル(特にカルシュウムの不足、精神が軟弱(?)、訓練の不足・・・などの結果ではないだろうかと感じています。
<ただし、テニスクラブの生徒は、体も、姿勢も、言葉も、態度も、大変立派でした。感心しています>
2 メタボ(予備軍)が何人かいる。発育不全もいくらかいる。
3 アトピー・喘息・心音異常・
4 「ハリソン溝」(胸部、乳の下が凹むービタミンADの不足)
などが気になりました。

その中の一部の人を検査しましたが、
1 最低血圧の下降(これは大体においてビタミンB1の不足、甘いものが多くB1の摂取が少ない)
2 心臓の右方拡大(これも1と同じ原因です)
3 筋肉の(ツボ)圧痛(疲労の蓄積)
4 腹大動脈の硬化症状が認められる(軽度ですが)人がある
などが認められました。

 これらは、最近の食生活、日常生活、運動の問題、精神生活、家庭の環境・・・などの総合的な問題から起こってくるのであろう・・と考えます。
食事では、甘いものが多い、お菓子やジュース・ケーキが多い、肉食が多い、白米食、スナック菓子・・・
などが気になります。

 「精神訓練」と言うと、少し説明がし難いですが、以前はも少し”きりっ!!”としていた(学校でも、家庭でも)ように思うのですが、今は「生活訓練」を含めて少しルーズになっているように思うことです。
もう少し”きりっとした”ものが増えると、本人も嬉しいし、親は喜ばれるだろうし、と思うことであります。

 今は、食糧に溢れた(ただし自給率は39パーセントと言います)、物に溢れた、電化製品に溢れた、車に溢れた、スゴイ素晴らしい時代ですが、その反面、精神性の虚弱が心配な時代のようであります。
物も有難く使いながら、精神面も肉体も強化・向上したいものであります。

 なかなか「セイ」の話になりませんが、そのうち、オタノシミに!

 

2008年9月2日火曜日

「しあわせ」について (6)

「しあわせ」「シアワセ」「幸せ」についていろいろ書いてきましたが、それを得るためにも一つ大切なことは「言葉と行い」に気をつけることだと思います。
「心・言葉・行い」は”いのち”から出てくるものだと思います。<この”いのち”とは、肉体生命の奥にある人間の根源の”いのち”!と考えてください>

人間は平等である!と言いますが、現実社会の人間は、一人ひとり「全く不平等」であります。<それは、過去何千何万年の「遺伝(DNA)」のしからしむるところだと考えるのですが・・・>
「人間は平等である」というのは、「生命の尊厳性」において平等なのだと、私は理解しています。

成長した「人間」は、日々、心を動かし、言葉を発し、行動して「この世」を生きていきます。
これらの根源は”遺伝的”なものでありましょうが、後天的に得た「いいもの」を実行・続行することによって「現在の運命」は変わってくる!!」と思います<沢山の立派な先人がおられます>。

”こころ”については前にお話しましたが、「言葉と行い」について、「日々、時々刻々」整えたいものであります。「いいもの、明るいもの、暖かいもの、前向きなもの、建設的なもの、世のため人のためにお役に立つもの・・・」などが、「しあわせ」<自分も、周りも>になる根本だと考えます。

「自己客観視」という言葉がありますが、折々、「今、自分は、どんな心で、どんな態度や姿勢で、どんな言葉を使っているかなー」と考え、いいと思うものは伸ばし、これは良くないなーと感じたら改めるように努力したらよいのではないか・・・と考え、実行している昨今であります。

その「継続」によって、いい運命は更に良くなり、ワルイ(良くない)運命は良いほうに改善されるのではなかろうかと思うことであります。

先日の「カンブリヤ宮殿」で、大変厳しい環境に生まれながら、どんなに良くないことが起こっても、”良かった!よかった”と言って努力し、今、大会社の社長になり、立派に幸せに生きていられる方を拝見しました。この場合も「言葉の力」が大きく関わっていると感じました。

私も、いい姿勢で、いい言葉で、いい笑顔で!!と、努力中でございます。

2008年8月22日金曜日

「しあわせ」について (4)

「しあわせ」について、私のン十年の勉強・思考・経験・見聞などから得たものを書いています。
「縁」があり、「人生・幸せ」について考え、悩み、模索していられる方のお目に留まり、いくらかでもお役に立てたらシアワセだなーと思いながら書いています<私の勉強にもなります!>

「しあわせ」は、自分が、自分の心で感じるものだと申し上げました。
折々に、自分の「こころ・からだ・人間関係・経済・社会的立場」などを考え(反省し)、いいものは伸ばす、よくないものは改める・・・ように心がける(努める)といいのではないかと考えます。

それから、「自分」が考え、行い、生きていく「自分の人生」でありますが、「自分中心」で、「自分のことばかり」考えていると、どうも「シアワセ」になれないように感じています。
「親を幸せにしたい」とか、「人のお役に立ちたい」とか、「人を喜ばせたい」!!と思って努力した人は、皆、立派に幸せになっていられるようであります。
<この考え方の押し付けも出来ませんが、お試しになってみてください。案外早く”いい結果”が出るかもしれません>

「健康で幸せ」になるもう一つの”コツ”は、「笑顔」ですねー。
どこの国の方でも、立派な幸せな人は、「いい笑顔」をしておられます。
「幸せになると”いい笑顔”が出る」 「”いい笑顔”がいつも出る人は幸せになれる」

「笑顔」を作るのに、そんなに沢山のカロリーは要りません。試して見てください。
でも、カロリーも労力もそんなに要らないのに、「いい笑顔」がスット出る人がある、顔がこわばってなかなか笑えない人がある。”運命”に支配されているのでしょうか?”遺伝”に支配されているのでしょうか? DNAのイタズラか?
その、笑えないところを笑う、笑顔が出ないところを出す!と運命が好転し「しあわせ」が出現するのですねー。
これは、一番体力の要らない、お金のかからない「幸せへの近道」だと思いますので、”なるほど”と思われた方はどうか実行してみてください。

笑顔を作るのに「はい、チーズ」とよく言われます。チーズもしないよりはマシですが、「頬の筋肉を上げる」ほうが「いい笑顔」になると思います。上がりやすい人、上がりにくい人とあると思いますが、「筋肉トレーニング!?」により簡単に上がるようになります。お試しください。

2008年8月15日金曜日

「しあわせ」について (5)

 今日は「夏休み(お盆休み)」で、ゆっくり出来ています。
お墓参り(お掃除)にも行ってきました。”わたしはお墓になんかいませーん”という歌がありますが、「死後の霊」はいるのかいないのか!!??
でも、何百年、日本人が伝統として行ってきた「先祖供養」は、子孫として当然の行為ではなかろうか・・・と私は受け止めています。
墓があり、折々に墓掃除、墓参りが出来るということは「しあわせ」ではないだろうか・・・と思いながら炎天下に草取りに汗をかいてきました。

北京オリンピックでは、コンマ何秒の差で、タッチの差で、何ポイントの差で、泣いたり笑ったりの競技が展開されています。
メタルは止めて、原点に戻って、優勝者はオリーブの葉の冠にしたらどうか・・・と思うことです。
世界一になることは、それはその道の人には素晴らしい凄いことだと思います。
が、「人間の(人類の)しあわせ」に対してはどうなのでしょうねー。
ヒットラー統治のベルリンオリンピックでは、「民族の祭典」「美の祭典」という映画が上覧されました。
まあ、「人類の祭典」としてとらえれば、それはそれとしていいのかもしれませんねー。

 このオリンピック競技に傾ける情熱と努力を「人生」に傾けたら、凄い、素晴らしい「しあわせな」結果が出るのではないだろうか、と、ふと考えることです。

「努力」は、「実る努力」と「実らない努力」があるように思います。
「実る努力」をみなしている、と思っていますが、結果がも一つ思わしくないときは、「努力の質と量と時間と方向性」を検討する必要がある、と考えます。

2008年8月9日土曜日

「しあわせ」について (3)

*「山のあなたの空遠く 幸い住むと 人の言う・・・」という詩があります。
それで、友達と一緒に探しに行った。でも、どこにも”シアワセ”は見つからなっかた。泣きながら帰ってきた。「山のあなたのなお遠く 幸い住むと 人の言う・・・」と、この詩は終わっています。

*偉大な作家・芸術家であるゲーテ。功成り、名遂げ、お金と名声を手にし、80歳で18歳の乙女に恋をした!?と聞きました。その彼の晩年の感想<僕の80年の人生を通して、”幸福”だと感じたのは全部で一週間くらいのものではなかろうか・・・>
彼が本当にそう言ったのか、誰かが言ったのかよく判りませんが、「幸福」について興味深い言葉だなーと、心に残っています。

*「頓知の一休さん」は、天皇のご落胤と言われ、当時の仏教の堕落を憤って数々の奇行があったようです。が、25歳の頃、琵琶湖に入水自殺を図っている(それも二度も)と何かの本で読み、驚きました。なにかずいぶん悩まれたのでしょうねー。
でも、二度とも助けられ、以後研鑽に励まれ、名僧の誉れ高く、87歳の(当時としては大変な長命です)生涯を全うされました。
80歳で出会った盲目の美女”森女”との恋は有名であります。
また一休さんは、大徳寺納豆を創作されたことでもよく知られています。

一休さんの人生を、幸不幸で測ることは出来ませんが、「死ぬほど悩まれた!!」のは間違いありません。でも助かって<天の力が働いている・・・>沢山の人助けをされた、ということは、生死を乗り越えて得られた「我欲を願わない、世のため人のためを願うまごころの発現!!」と感じることであります。

*京都の銀閣寺を住処とした足利義正(銀閣寺を建てたのは奥さんの日野富子だそうです)ですが、将軍であり、凄い庭付きの立派な家(銀閣寺)に住みながら、よい?奥さんを持ちながら、晩年は”空しい、むなしい!”と言っていた、と何かの本で読みました。
スゴイ”しあわせ”な環境にいながら、”ふしあわせ”を感じておられたのでしょうか・・・。

 やはり「シアワセ」はこころにある!!のですねー。
それを悟ったひとを「覚者」と言うのでしょうか。
覚者と言わなくても、「総て ありがたい!!」という境地に到達したい、と考えるものであります。

2008年8月5日火曜日

「しあわせ」について(2)

 前回、「しあわせ」について「今」考えることをいろいろ書いてみました。
これらは、一応「しあわせ」の条件でありましょうが、シアワセについての焦点の当て方は「一人ひとりみな違う」し、基本的には、「しあわせ」は、それを認識し自覚する「個人のこころ」にあるのですねー。

 誰が見ても「シアワセそう・・・」な環境におられても、本人は、何か「悩みを」抱えていて、”ああ、自分は不幸だなー”と思っていられる方があるかもしれません。
世間的にキビシイ環境の中におられても、”ああ、おれはシアワセだなー・・・”という心で生きていられる方があるかもしれません。
<この場合、前者は不幸であり、後者は幸福なのだと思います>
だから、「しあわせ」は、物や境遇ではなく、一人ひとりの「こころ」の中にあるのですねー。
心も、物も、境遇も、健康も総て揃い、自他とも「幸福」!!と言える、思える状態が理想でしょうが、一部でも整い、それを喜び、それに感謝できる人は「シアワセな人」ではないでしょうか。
喜びと感謝に生きていたら、その「喜び感謝できる条件」は更に増大・増幅するのだと思います。
しあわせ!と思える条件の中に生きていても、それは”あたりまえ”で喜ばず、不平不満で生きていたら、今ある「しあわせ」の条件は次第に減少し、「フシアワセ」な条件・環境が増えてくるのではないでしょうか。

 僕は、戦前・戦中・戦後と「今」を生きて(生かされて)きました。
時代の変化と共に、「しあわせ」にたいしての「感じ方」が変わってきたように感じています。
昔は、物も食糧も衣類も非常に乏しかった。が、人々は助け合い、励ましあい、仲良く生きてきた。
今のような殺人事件はほとんど無かった!!
 今、物も食糧も、電化製品も、車も、パソコンもケイタイも、衣類も、満ち溢れている!!
では、それだけ人々はシアワセか、健康か、仲良いか・・・と尋ねると、どうも”いい返事”は返ってこないのではなかろうか・・・という気がします。

 それでは、物も食糧も無い(少ない)ほうが良いのか?という単純な疑問が湧きます。
「無いほうが良いのかもしれません。
世界中で平和にシアワセに、健康に生きている民族は、ささやかな食糧や衣類を大切にし、争わず、地球の自然を守って生きているようであります。
「先進国?」は、これと全く反対の生き方をし、混迷の度を深めているようであります。
「先進」はほどほどにし、「後進の立派な(自然な)生き方」を見習う必要がある!!と感じるものです。

 「しあわせ」の話が、世界的な話になってしまいました。
物も必要で大事ですが、そのために地球を汚染し、人間同士あい争うのでは、物は無いほうが良いのでは・・・とも考えられますねー。
でも、つつましく、上手に使えば、物は有難い存在であります。
「心も上手に」「物も上手に」使うのが「シアワセ」の根本のようであります。

2008年8月3日日曜日

「しあわせ」について

「しあわせ」とは、小さな虫のシアワセ、小鳥のしあわせ、ペットのしあわせ、野生動物のシアワセ、人間の幸せ、地球の幸せ・・・と色々ありますが、ここでは「人間の幸せ」について考えてみます。

これも、人間個人の幸せ、家族の幸せ、親族や知人友人の幸せ、地域社会の幸せ、国家の幸せ、世界の幸せ、地球のしあわせ(最近では宇宙の幸せ)・・・といろいろありますが、一応「人間」に焦点を当てて考えてみます。

1 衣食住が整っていること
2 健康であること
3 いい仕事(世のため、人のため、自分のためになる)を持っていること
<工場でで一本のビスを作る仕事も”立派な仕事”であります>
4 人間関係が良好であること(家族・知人友人・学校や職場で)
5 経済の安定(ささやかでも欲しいものが買えること)
6 心が温かく、喜びと感謝に満たされていること
7 世のため人のため<地球のため>を考え、少しでも実行できていること

これらが「今」私が考えている「シアワセ」の条件であります。<20年前、30年前にこんなことを考え、少しでも実行していたら、ボクの人生は(運命は)変わっていたのではないかなーーと、ブログを書きながらフト考える次第であります>
<が、今からでも遅くはない!!これらの条件の整備・増強に取り組もう!と考える次第であります>

世の中を見渡しますと、これらの条件が沢山おありの方もおられます。
また、満たされず、悩み苦しみを持った方もおられるのではないでしょうか。
「地球学校」で生きてゆく人間には、「完全にシアワセな人」はいないのではないか・・・と考えることであります。
病気や不幸やトラブルなどは、よりよくなるための「天の試練」なのかもわかりません。
不完全、不十分を受け止め理解して、完全・十分(シアワセ)を目指して日々努力していくことが、「今」地球上に棲息を許されている「人間」の務め<義務!>ではないだろうかと考えることであります。

「シアワセ」は、与えられたものより、苦しんで努力して、そして得たもののほうが、何倍・何十倍の喜びをもたらす!!のではないでしょうか。
現状を認識・分析し、方向性を定め、「夢と希望とシアワセ」に向かって一歩づつでも前進!!と改めて考えているところであります。

「幸福盲」について

今、「幸福の要素」を沢山持っているのにそれに気づかず(不平不満を言って)生きている人が多い?ように感じられます。
体で言えば、目が見えるのは当たり前!と思って、喜びも感謝もしない人が多いのではないでしょうか。
見える、歩ける、食べられる、大小便が出る、考えられる、眠れるなど、みな一応「当たり前」でありますが、これらが出来なくなったときは”大変”であります。
<これら”当たり前”の条件は、個人でも、地域社会でも、国家でも、地球でも、すべてに当てはまることであります>

「当たり前の有難さ」を自覚し認識し、そこに日々「喜びと感謝」を見出す人はシアワセであり、「当たり前のシアワセ」を自覚できない人は「幸福盲」と言っても良いのではないだろうかと考えることであります。
<これは、私のオリジナルか?いつかどこかで聞いた言葉が耳に残っていたのか?>

前回、「幸福の条件」について申し上げましたが、それらがみな揃うのが望ましいと思いますが、「一つあってもシアワセ」なのではないでしょうか<それも無い!と思ってみてください>
その「一つのシアワセ」を喜べる人は”幸せな人”であり、「得ていないシアワセ」を嘆き不満を言う人は”フシアワセ”な人ではなかろうか・・・と考えることであります。

”私は不幸だ!”と言っているひとでも、「心の目を開けば」今そこに「シアワセの要素」は沢山あるはずであります。
いいほうを見て喜び感謝するか、良くないほうを見て不平・不満・愚痴(嘆き・恨み??)
の日々を送るか・・・が、それぞれの運命を構成するのではなかろうかと考える昨今であります。
<今、同じ人間で、いいものが半分、良くない(好もしくない)ものが半分あるのが「人間」ではないだろうかと感じさせられています>

判ったような、判らないようなことを言っていますが、「人生」「シアワセ」について悩みをお持ちの方の
わずかな指針・参考になればシアワセ!と思っています。
私も、日々努力中であります。

2008年7月6日日曜日

人間とは(3)

 1 肉体・・地球上に一定期間生存を許されている「人間」は、地球上に住むための宇宙服である「肉体」を持っている。<大体よく似ているが、良く見ると千差万別である>
 2 精神・・を持っていることは、人間、誰もが認めている。<形も無い、一人ひとりみな違う。同じ人間でも、精神状態は日々違う!?> 精神は、意思・感情・想念として発動する。”こころ”と大体同意義に使用している。
 3 人間は社会活動を行っている。家庭、学校、会社・職場で生活し、地域社会と国家につながっている。
<この三者が整うことが「人間として大事である・・・」とWHOでは宣言している>
 4 「霊」は、”あるのか無いのか?、中にあるのか外にあるのか?あるとしたら、人間とどう関わるのか・・・??”
 5 「魂」とは何か??<辞書にもチャント載っていますが、何なんでしょうねー・・・?>

 1・2・3までは、現代社会を生きるほとんどの人が認識するところでありますが、4や5の話をすると、とたんにウサンクサイ目で見られるのがオチであります。<が、外国では、これらが日常生活の中に”自然に”取り入れられているようであります・・・>
<日本は「霊」研究の後進国である!という話も聞きます><英国・米国・ロシアなどでは、大学で研究されているようであります>
<WHOでは、霊=スピリットを、上記「人間の三条件」に加えることを検討中である、と聞きました>

 <神霊関係の文献では、「神との対話」「シルバーバーチの霊訓」「セスの世界観」「生きがいの創造」
「生きがいの泉」「あなたはなぜ生まれてきたのか」「久遠の死生学」「神智学入門」「あなたは誰?」「私は神」・・・などなど、沢山の書物が発行されていますから、興味がおありの方はご覧になってください>

・・・と書いてきましたが、「人間」について話すことは大変なことだなーと、改めてカンシンし驚いています。人間は、一人ひとりが”感じ、学び、行い”ながら生きてゆくもので、よいと思うことでも、その”感じ方”は個人差があるわけですので押し付けも出来ません。
興味がおありの方は、折々ご勉強になってください。

 で、つまるところ、「人間」が向上し進歩し、健康で幸せに生きて行くためには、霊や魂はさておいて、「肉体と精神と社会性」を向上し、周囲と調和し、世のため人のためを考えて生きてゆくのが先ず先決である!・・・<そうすれば、「霊体」も向上するのではないだろうか(あるとすれば)> というのが今日の結論であります。
<結論の出ない、一人ひとりの考えや受け止め方がみな違うテーマですので、興味がおありの方だけご笑読ください>

2008年6月22日日曜日

人間とは(2)

 前回、なぜ人間が地球上にいるのか?について、見聞したことをご紹介しましたが、少し追加します。
1 カミは、地球に天と地を創られたあと、自分に似せて”人間(男性)”を創られた。
2 次に、その男性のあばら骨から”女性”を創られた。
3 カミは、天地を創られたあと、白人と黒人と黄色人種を創られ、それを世界の各地に配分された。
4 日本のある宗教では、カミサマは、人間を創るとき、魚の内臓の各部分を用いられた・・・と。
そして、10柱の神様が、分担して、人間の各臓器を守っている・・・と。

 日本のある宗教では「人間 神の子」という表現があります。
外国でも、「Sun of God」という表現があるようであります。
で、「人類は兄弟!!」ということになるのでしょうか。
<私は、「人間は みな イノチの兄弟」と受けとめています><イノチとは、人間の肉体の命の奥底にある”人間の本体”としてのイノチ!と考えてみて下さい>

 21世紀、今地球上に存在する六十数億の人間は、生命の尊厳性においては平等でありますが、地球上の表現形態は一人ひとり全部違います。
顔かたちも、運命も、健康・経済・寿命も、声も指紋もみな違います。
フシギだなーと、折々に考えるのですが、皆様はどうお考えでしょうか。
<ちなみに、北海道の大雪山山系には(もちろんそこだけではありませんが)一冬に「無限」と思える雪が降りますが、そして「雪の結晶は六角形」ということはみなご存知でしょうが、「その雪の結晶が、基本的には六角形であるが、一つ一つ”みな違う!!”のだそうです(北海道大学の研究)>
<私はこの話を聞いたとき”神業!!”と思いましたが、皆様はどうお考えでしょうか?>

 「人間は、同じ人間であるが、一人ひとりみな違う」訳は、現代科学で言えば「遺伝子」が違う!からでありましょう。
一人の人間は「60兆」の細胞から成り立っている。
その一つの細胞には「約30億」の遺伝情報がある(筑波大学教授 村上和雄著「生命の暗号」)のだそうです。<30億の情報量は、「1000ページの本で1000冊分(同著21P)だそうです>
<その暗号は誰が刷り込んだのか・・・と著書にあります>

 自分ー両親ー祖父母ー曾祖父母・・・10代さかのぼれば約千人の先祖があります。三十代遡れば約一兆の先祖があります。その中の「一人」欠けても「今の自分」はありません。
<三十台で先祖は終わりではありません。人類誕生より、”無限”と思える「ご先祖」があるわけです。
「そのご先祖の遺伝を全部持って、今、自分がここにある!!」訳ですねー。

 その遺伝の中には、「いいもの」もあるし「良くない(好もしくない)もの」もあるでしょう。
それらが、「誕生に、人生に」折々に発現し「運命を形造る」のだろうと感じさせられています。
「いいもの」が出てきたら「喜び感謝」し、「良くないもの」が出てきたら<人生の課題>「改善・改良・修復・向上」に全力を尽くす・・・。これが「地球学校」に誕生した者の「使命」で、円満に解決した者は、次<この世でもあの世でも!?>は一段と上級のクラスに進むのではないだろうか・・・と考えさせられているところであります。

 「人間として地上に生まれた」ということは、「大変な(重大な意味を持った、価値がある)ことだ」そうであります。
最低の生存条件で生まれても、最高の人生を築いた方もおられます。
幸せな条件で生まれても、苦しい人生を歩まれた方もあるようです。
”この子は弱いから十才までは生きられないだろう(医師も家族もそう思った)という人が、健康と養生に努力され、日本一と言われる画家になられ、百歳を超えるほど生きられた!!方もおられます。
 受け止め方、心構え、実行力、そしてその「継続」の結果でありましょう。
最近の新聞の紙面でも、不遇・逆境・難病を乗り越えて、「自他とも”立派”と認めるようになられた」方々の記事を折々見受け、嬉しく思ったり、見習いたい!と思ったりすることがあります。

 「人間は、素晴らしいものを内包している!!」 「努力次第で、どれほどにも良くなることが出来る!!」 と、また、感じさせられています。

 また「セイ」の記事が書けませんでした・・・。
オワビに今日のサンスポから
「米、おバカ女子高生17人 集団お遊び妊娠(全員16歳以下)」という記事を紹介します。
アメリカでは「性教育」が相当普及しているはずですのに・・・。
唯物論教育が主で、生命の尊厳性の教育<こころ・いのちの教育>が不十分な結果なのかなーという気がしていますが、皆様はいかがお考えでしょうか。
<ちなみに、アメリカで起こったことは、しばらくするとニホンに波及する・・・とか言いますから、日本で現実にならないことを願っています>

2008年6月19日木曜日

人間とは?

 「人生」を生きてゆくのは「人間」であります。その「人間」とは、地球上のいかなる存在でありましょうか?・・・と書き出しましたが、何を、どう書き始めたらよいのか、これは大変なことだと、ふとためらっています。
ダーウインの進化論の言うように、海水中に出来た「原始蛋白」から進化したものか、宇宙船に乗って他の星から来たものか(古事記)、実験室で創られた(クロード・ボロリン・ラエル)ものなのか・・・???
 「人間 この未知なるもの」というアレキシス・カレルの著書をひもといても、なかなか難解であります。
で、起源・発生はさておきまして、「今21世紀、地球上に棲息している”ホモサピエンス”という学名を持った二足歩行の脊椎哺乳動物”という定義から出発したいと思います。

 今から数千年前の人類は、木の葉っぱを身につけ、野の幸・山の幸・海の幸から食糧を得、「自然の一員」として、天地自然を畏れ、つつましく生きてきたようであります。
それが、この100年余りの時間の経過の中で、「地球の自然」によって生かされていることを忘れ、人間の快適性・便利・楽などの欲望のために、天地の自然を汚しまくり、武器を作って殺し合い、何千何万という「種」を絶滅に追いやり・・・と、好きほうだいしているのが現状のようであります。
このような状態が続くと、「人間」という「種」も絶滅に向かうのではなかろうか、と心配する向きもあるようです。
 こういった「異常状態」を整えるには、「欲望を控えめにする」ことと、「地球の自然性を守る」ために一人ひとりがささやかな努力を続けることと、「人間同士が争う<戦争も・家庭も>」ことを出来るだけ少なくすることが大事ではなかろうか・・・と、考えることであります。

 さあ、そのためには、たちまちどうするか・・・。
人間が健康に(幸せに)生きる上で「自然性」を先ず増やすことではなかろうかと考える次第であります。1)飲食に自然性を増やす 2)生活に自然性を増やす 3)仕事・休養・運動のバランスをとる
4)人間関係の和と調和に心がける 5)地球をなるたけ汚染しないように気をつける・・・。
<これらは、私のホームページ http://www.mishimaiin.jp で説明していますので、よかったらご覧になってください。

 2回・3回と、人生人生・・と硬いことを書きましたので、今日は少し軟らかく、「人間・性」について書こうと考えたのですが、こんな記事になってしまいました。悪しからずご諒承ください。
次回の「性関係」をオタノシミ?に(え!性のことなら聞かないでもよく知っている、ですって。そりゃーまーシツレイしました・・・)

2008年6月17日火曜日

人生・人生!? (2)

 人生は、健康、寿命、縁、幸不幸、経済問題、人間関係などが複雑に絡み合い、様々な問題が生じてきます。大変な問題を乗り越えて、自分も幸せになり、世のため人のために尽くされた方もおられます。問題を解決できず<解決の出来ない問題は出ない!ということのようでありますが・・・>身の不遇をかこつ方もおられるようであります。
 大変厳しい環境を乗り越えて、「天下を取った」方は、古くは豊臣秀吉、新しくは田中角栄(もと総理大臣)、松下幸之助(ナショナルの創設者)などがおられます。
最近では、社員4名から始めた会社から出発し、今、年商7500億円の大会社に発展させた社長(会長)がおられることをテレビで知りました。

 凄い、立派な方々がおられることに深甚の敬意を表するものですが、そんなにスゴイ人生でなくても、平凡に、健康で、一家仲良く、生活に困らないだけの収入があり、ささやかな喜びもあり、いくらかでも「世のため人のため」に役立つような生き方をしていたら、それも立派な生き方ではないだろうか・・・とも考えることであります。

 「平凡に生きることは、なかなか難しいことである」(ある人生大学の師の言葉)
「一生のなかで、一人でも人を助けた人は偉大な人である」(インドの聖人の言葉)

 「青年よ 大志を抱け!!」とはクラーク博士の言葉です。
大志を抱き、努力し、自他の幸福に努力し、大成されることは大変立派です。敬意を表します。
が、「ささやかに一隅を照らす」人生も立派な(と言えなくても、先ず先ずの)人生!・・・ではなかろうか、と(自己弁護?)考える昨今であります。
人生これからの若い世代にも、一年(とし)取った世代にもエールを送る次第であります。
「毎日、ニッコリ笑って頑張ろう!!イエーイ!!」

人生・人生!?

人間に生まれてウン十年、医師になってウン十年、結婚してウン十年、戦前・戦中・戦後を生き(生かせて頂き!)今日に至っています。
「人生いろいろ・・・」の歌がありますが、本当に”人生”は不思議なものだなー!!と感じ入っている昨今であります。
 よそ目には元気で順調にいっているように見えるかもしれませんが、本当に”いろいろ”ありました。今も”いろいろ”あります<いろいろあるのが人生!!>。
でも、その”いろいろ”をなんとか乗り越えて、一応元気で、日々の診療に、医師会活動に、小中学校の校医に、看護学院の講師に、往診に、ホームページの作成に、テニスに、時には大好きな上高地方面へのバスツアーに・・・と生きている<生かされている!>今日、”人生と言うものは、フシギだなー、一人ひとり大変な意味を持っているのだなー、と感慨を深めている昨今であります。

この「フシギさ」に思いをいたしたひとは「人生」を理解する「門」をくぐれた人かなーとも思うことであります。<ここで時間がなくなりました。後でまた書かせていただきます>

2008年6月16日月曜日

今、日本では、物質的には大変”シアワセ”な状況が続いています。
物は溢れています。食料も溢れています(ただし、日本の食糧自給率は39パーセントということです。今輸入が止まると、日本人の61パーセントは食うものが無い!?)
医学が発達し、大変な難病の治療が出来るようになりました。
沢山の”いい”薬も出来ています。
生活環境も、物凄く高度の改善が見られ、毎日の生活は、便利で、楽で、快適になっています。
社会的にも「自由」が増え、みんなのびのびと暮らせる時代であります。

それでは、一億三千万、みんな幸せで健康に生きているか・・・というと、ハイ!!とはっきり返事が出来る人は案外少ないのではないだろうかと考えさせられる昨今であります。
<特に、小中学校の春の身体検査では、児童や生徒の体質異常!?に驚かされています>
<背中が丸い・側湾症・メタボ・ハリソン溝・アトピー・喘息・心臓肥大・低血圧などなど>
(これらは、追々説明をしていく予定です)

私は医師ですので、「健康」に焦点を当て、「健康増進」(と「病気治療」)に焦点を当て、ご縁の皆様の健康向上にお役に立つように、ホームページを立ち上げ今日まで来ています。

皆様も、それを見ていただきたいのですが、飲食・呼吸法・運動と手入れ・生活・人間関係とこころ・・・
などが、180ページほどになりました。
これ以上追加すると、見に来ていただいた方がコンラン?されるのではないかと考え、健康法の追加や、ヒント、良い記事、折々感じたことなどをブログで公開することにしました。

「健康(と幸福!?)を求められる方々のお目に留まり、その方々の健康増進に少しでもお役に立てれば嬉しい限りです。

健康増進と治病を願われるお方は、たちまちは
www.mishimaiin.jpをご覧になってください。
そして、折々発表するブログも参考にして頂けたら嬉しく思います。
ではまた、皆様お元気で!!