今日は「夏休み(お盆休み)」で、ゆっくり出来ています。
お墓参り(お掃除)にも行ってきました。”わたしはお墓になんかいませーん”という歌がありますが、「死後の霊」はいるのかいないのか!!??
でも、何百年、日本人が伝統として行ってきた「先祖供養」は、子孫として当然の行為ではなかろうか・・・と私は受け止めています。
墓があり、折々に墓掃除、墓参りが出来るということは「しあわせ」ではないだろうか・・・と思いながら炎天下に草取りに汗をかいてきました。
北京オリンピックでは、コンマ何秒の差で、タッチの差で、何ポイントの差で、泣いたり笑ったりの競技が展開されています。
メタルは止めて、原点に戻って、優勝者はオリーブの葉の冠にしたらどうか・・・と思うことです。
世界一になることは、それはその道の人には素晴らしい凄いことだと思います。
が、「人間の(人類の)しあわせ」に対してはどうなのでしょうねー。
ヒットラー統治のベルリンオリンピックでは、「民族の祭典」「美の祭典」という映画が上覧されました。
まあ、「人類の祭典」としてとらえれば、それはそれとしていいのかもしれませんねー。
このオリンピック競技に傾ける情熱と努力を「人生」に傾けたら、凄い、素晴らしい「しあわせな」結果が出るのではないだろうか、と、ふと考えることです。
「努力」は、「実る努力」と「実らない努力」があるように思います。
「実る努力」をみなしている、と思っていますが、結果がも一つ思わしくないときは、「努力の質と量と時間と方向性」を検討する必要がある、と考えます。
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