無事(ぶじ)とは何事も無く(トラブルがなく)経過する(した)ことです。
旅行者にたいして、またしばらくの別れのときの言葉ですが、最近はあまり耳にしませんねー。
平和と安全が保障されている現代、”今日も一日無事だった!有難い!”という感じ方は減退しているようですが、戦争中の日本では(さらに時代を遡るほど)毎日無事に生きることは大変なことでした。
僕も、焼夷弾の爆撃で一晩中火の中をさまよったり、廣島の原爆の前の晩に疎開したり、酒に酔っ払って大怪我をしたり、歯の異常で2-3年大変苦しい目にあったり・・・と、考えてみましたら「無事」でないことが度々ありました。今こうして生きているのがフシギな気がしています。
大体、人間が、今、この世に生きている!!ということは「大変なこと」なのだなー」と、今頃、つくづく考えます。生きているのではない!生かされている!のだなーと思います。
「生かされている」のであったら、「お返し」をしなければならないのだなーという気がします。
誰にお返しをするのかと考えますと、「天・地・人、その他自分を今日まで生かしてくれている総てのもの」にですねー。
「お返し」は、心で、言葉で、物で、お金で、行動で、「なにか世のため人のため」に尽くすことなのでありましょう。<無財の七施という言葉があります。善行はお金が無くても出来るのですねー>
また、お返しは出来なくても、「感謝」は出来ますねー。
”何もいいことが無かったから感謝できない”ではなく、「無事」に一日を終えることが出来たら、それは素晴らしいことなのですねー。
「貴人」とは、貴い人、立派な人、すがやかな人、魂のレベルの高い人・・・と解釈しています。
今日一日、”無事”に過ごせたことはシアワセ!いいことは無くても悪いことが無ければ”幸せ!”少々悪いことがあっても、もっと悪いことが起きているよりシアワセ!・・・と、「シアワセ」の感じ方は色々あります。
こんなことを考えながら年の暮れを迎えています。
ニッコリと、有難く、感謝して生きてまいりましょう!!
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