2008年8月5日火曜日

「しあわせ」について(2)

 前回、「しあわせ」について「今」考えることをいろいろ書いてみました。
これらは、一応「しあわせ」の条件でありましょうが、シアワセについての焦点の当て方は「一人ひとりみな違う」し、基本的には、「しあわせ」は、それを認識し自覚する「個人のこころ」にあるのですねー。

 誰が見ても「シアワセそう・・・」な環境におられても、本人は、何か「悩みを」抱えていて、”ああ、自分は不幸だなー”と思っていられる方があるかもしれません。
世間的にキビシイ環境の中におられても、”ああ、おれはシアワセだなー・・・”という心で生きていられる方があるかもしれません。
<この場合、前者は不幸であり、後者は幸福なのだと思います>
だから、「しあわせ」は、物や境遇ではなく、一人ひとりの「こころ」の中にあるのですねー。
心も、物も、境遇も、健康も総て揃い、自他とも「幸福」!!と言える、思える状態が理想でしょうが、一部でも整い、それを喜び、それに感謝できる人は「シアワセな人」ではないでしょうか。
喜びと感謝に生きていたら、その「喜び感謝できる条件」は更に増大・増幅するのだと思います。
しあわせ!と思える条件の中に生きていても、それは”あたりまえ”で喜ばず、不平不満で生きていたら、今ある「しあわせ」の条件は次第に減少し、「フシアワセ」な条件・環境が増えてくるのではないでしょうか。

 僕は、戦前・戦中・戦後と「今」を生きて(生かされて)きました。
時代の変化と共に、「しあわせ」にたいしての「感じ方」が変わってきたように感じています。
昔は、物も食糧も衣類も非常に乏しかった。が、人々は助け合い、励ましあい、仲良く生きてきた。
今のような殺人事件はほとんど無かった!!
 今、物も食糧も、電化製品も、車も、パソコンもケイタイも、衣類も、満ち溢れている!!
では、それだけ人々はシアワセか、健康か、仲良いか・・・と尋ねると、どうも”いい返事”は返ってこないのではなかろうか・・・という気がします。

 それでは、物も食糧も無い(少ない)ほうが良いのか?という単純な疑問が湧きます。
「無いほうが良いのかもしれません。
世界中で平和にシアワセに、健康に生きている民族は、ささやかな食糧や衣類を大切にし、争わず、地球の自然を守って生きているようであります。
「先進国?」は、これと全く反対の生き方をし、混迷の度を深めているようであります。
「先進」はほどほどにし、「後進の立派な(自然な)生き方」を見習う必要がある!!と感じるものです。

 「しあわせ」の話が、世界的な話になってしまいました。
物も必要で大事ですが、そのために地球を汚染し、人間同士あい争うのでは、物は無いほうが良いのでは・・・とも考えられますねー。
でも、つつましく、上手に使えば、物は有難い存在であります。
「心も上手に」「物も上手に」使うのが「シアワセ」の根本のようであります。

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