この表題は、アメリカの心理学者の言葉です。
この四つがすべて同じ長さ(量)で整うと、「丸い、いい人生」になるのだそうです。
折々に考えますが、本当にいい言葉だなーと思うことです。
今の日本人で考えますと、仕事は多すぎる、休養は少ない、愛情は??、信仰はほとんどゼロ!?で、丸いどころかまったくの変形を描いているようであります。
”それでもいいじゃないか・・・”という考え方もありましょう。そうです。それでもいいんでしょう。が、できうるならば、丸=円満、完全、調和=のほうがいいような気がしています。
個人の思考と言葉と行為の値打ちを決める(決まる)のは、カンオケに片足を突っ込んだときに、自他が(閻魔さんが)決めることなのかなー、と考えることです。
すべてプラスの人はいないでしょう。すべてマイナスの人もいないでしょう。
人生の折々に考えて、プラスの多い人生を歩みたいものと考える今日この頃であります。
<悪いことを五つしたら、いいことを六つしたらいい、という話も耳にしたことがあります>
<「悪いこと」の定義が難しいですが・・・>
自分の人生の積み重ねを持って「あの世」に行く・・・と一人さんは言っておられます。
今の「この世」も、前世とこの世での自分の思考と行動の結果のようであります。
「この世」と「あの世」は同じである・・・という話も耳にします。
・・・と、また結論のない、一人ひとりの考えがみな違うことを書きましたが、これは、各自が考える問題のようですねー。
毎日毎日、人生!人生!と考えすぎるのもちょっとオカシイですが、まったく考えないのもオカシイのではないでしょうか。
日々ちょっと努力して、心がけて、自他ともに嬉しい、暖かい、いい気持ちな人生を歩んでいきたいものであります。
2012年12月2日日曜日
2012年10月31日水曜日
「嬉しい・楽しい」
「シアワセ」の要素は、個人の、肉体面、物質面、社会面(家庭、学校、職場など)において、いろいろのものがあるでしょうが、精神面において「嬉しい・楽しい」は大きな要素でありましょう。
「無財の七施」という言葉があります。お金は無くても、世のため人のために七つのいいことができる、という言葉ですが、これに関連して「無財の七喜」というのはどうでしょうか。
1 生きている「今」を喜ぶ。
2 家がある
3 食物がある
4 衣服がある
5 仕事がある
6 家族がある
7 平和な国家がある・・ことを喜ぶ!!
現代の日本においては、これらの条件が満たされていることは、ほとんど”当たり前”ですが、(当たり前すぎて、喜ぶ人が少ない!?)僕の子供の時は、これらの条件は非常に少なかったものです。
だから、「今」の状況が素晴らしい!と感じていますが、今の子供たちや、5-60歳までの人たちは、どう思っているのかなーと、ふと考えることであります。
「自然」を自覚するために、何もない部屋を作って、時々そこで生活せよ、という教えがあります。
一か月に一日は断食せよ、という教えもあります。これは、体のためにも、人生を自覚するためにもいいことではなかろうか、と考えています。
<日曜日は「二食」にする(時に断食する)、というのも、健康にも運命にもいいことだと考えています>
仕事に精を出す、家庭を整える、健康に気を付ける、自分以外の人の幸せを考える、などと生きていましたら、いつのまにか「嬉しい・楽しい」ことが増えるのではないでしょうか。
何年ぶりかで、テニスのラケットを一本買いました。なんともいえず嬉しかったです。
(また、そのラケットの当たりが素晴らしい!!)
健康でいれるのが有難い!仕事ができるのが有難い!家族が元気なのが嬉しい。自然な環境の中でテニスができるのが嬉しい!・・・と、強く感じた10月30日(火)でありました。
「無財の七施」という言葉があります。お金は無くても、世のため人のために七つのいいことができる、という言葉ですが、これに関連して「無財の七喜」というのはどうでしょうか。
1 生きている「今」を喜ぶ。
2 家がある
3 食物がある
4 衣服がある
5 仕事がある
6 家族がある
7 平和な国家がある・・ことを喜ぶ!!
現代の日本においては、これらの条件が満たされていることは、ほとんど”当たり前”ですが、(当たり前すぎて、喜ぶ人が少ない!?)僕の子供の時は、これらの条件は非常に少なかったものです。
だから、「今」の状況が素晴らしい!と感じていますが、今の子供たちや、5-60歳までの人たちは、どう思っているのかなーと、ふと考えることであります。
「自然」を自覚するために、何もない部屋を作って、時々そこで生活せよ、という教えがあります。
一か月に一日は断食せよ、という教えもあります。これは、体のためにも、人生を自覚するためにもいいことではなかろうか、と考えています。
<日曜日は「二食」にする(時に断食する)、というのも、健康にも運命にもいいことだと考えています>
仕事に精を出す、家庭を整える、健康に気を付ける、自分以外の人の幸せを考える、などと生きていましたら、いつのまにか「嬉しい・楽しい」ことが増えるのではないでしょうか。
何年ぶりかで、テニスのラケットを一本買いました。なんともいえず嬉しかったです。
(また、そのラケットの当たりが素晴らしい!!)
健康でいれるのが有難い!仕事ができるのが有難い!家族が元気なのが嬉しい。自然な環境の中でテニスができるのが嬉しい!・・・と、強く感じた10月30日(火)でありました。
2012年9月30日日曜日
「しぜん」「自然」
しぜん、自然、とは、「広辞苑」によれば、(1)(ジネンとも)おのずからそうなっているさま。天然のままで、人為の加わらないさま。あるがまのさま。(2)ア)「哲」(physis(ギリシャ)・natura(ラテン)nature(イギリス・フランス) 人工・人為になったものとしての文化に対し、尽力によて変更・形成・規制されることなく、おのずからなる生成・展開によって成りいでた状態。超自然や恩寵に対していう場合もある。
イ)おのずからなる生成・展開を惹起させる本具の力としての、ものの性(たち)。
本性。本質。
ウ)山川・草木・海など、人類がそこで生まれ、生活してきた場。特に、人が自分たちの生活の便宜からの改造の手を加えていない物。また、人類の力を超えた力を示す森羅万象。
エ)精神に対し、外的経験の対象の総称。・・・<まだ沢山あるのですが、以下省略します>
私が今までの人生で感じたことを申し上げますと、
1)肉体的自然・・・痛いところがない、どこもよく動く(頭、手足、心臓、胃腸、腎臓など)
2)精神的自然・・・いい気持ちで生きていられる、喜びと感謝がある、なにか世のため人のために役立ちたいと思っている、折に触れて「自然」を感じている、
3)社会的自然・・・人間も、国家も、世界も仲よく生きていく、
4)天地の(地球の)自然
5)自然性の尊重の心と行い、
6)自然の中に身を置きたい願望と行動がある・・・
などを感じ、自然性の増加を願って行動している人は「自然」に生き、生かされている人かなー、と感じています。
今日で9月も終わり、あと3か月で今年も終わります。
月日の経つのも「自然」ですねー!
日々、嬉しく、楽しく、有難く、元気で、仲よく、世のため人のために少しでも役立ちながら生きていけたら”しあわせ”だなーと考えることであります。
イ)おのずからなる生成・展開を惹起させる本具の力としての、ものの性(たち)。
本性。本質。
ウ)山川・草木・海など、人類がそこで生まれ、生活してきた場。特に、人が自分たちの生活の便宜からの改造の手を加えていない物。また、人類の力を超えた力を示す森羅万象。
エ)精神に対し、外的経験の対象の総称。・・・<まだ沢山あるのですが、以下省略します>
私が今までの人生で感じたことを申し上げますと、
1)肉体的自然・・・痛いところがない、どこもよく動く(頭、手足、心臓、胃腸、腎臓など)
2)精神的自然・・・いい気持ちで生きていられる、喜びと感謝がある、なにか世のため人のために役立ちたいと思っている、折に触れて「自然」を感じている、
3)社会的自然・・・人間も、国家も、世界も仲よく生きていく、
4)天地の(地球の)自然
5)自然性の尊重の心と行い、
6)自然の中に身を置きたい願望と行動がある・・・
などを感じ、自然性の増加を願って行動している人は「自然」に生き、生かされている人かなー、と感じています。
今日で9月も終わり、あと3か月で今年も終わります。
月日の経つのも「自然」ですねー!
日々、嬉しく、楽しく、有難く、元気で、仲よく、世のため人のために少しでも役立ちながら生きていけたら”しあわせ”だなーと考えることであります。
2012年8月28日火曜日
「生きざま」
地球上の人間(約65億)の一人一人に「人生」があり「生きざま」があります。
すざまじい人生を生きる人もあれば、穏やかな人生を生きる人もあります。
長生きな人生もあれば、短命な人生もあります。さらに、幸福な人生と不幸な人生、豊かな人生と貧しい人生、愛に満ちた人生と愛に恵まれない人生、自分以外の人の幸せを願う人生と、自分のことばかり考える人生、健康な人生と病弱な人生、穏やかな人生と波乱万丈の人生・・・
なんと様々な人生があるものだなーと、改めて感心しています。
人間は平等である!といいますが、これは「生命の尊厳性」において平等なのであって、地球上に生きる人間はまったく平等ではありません。
その根源的な意味は確定しにくいことですが、「前世」と、この世の「生きざま」の結果ではないだろうか・・・と考える昨今であります。
私は、現在、立派な人に比べるとささやかですが、比較的に安定な(健康、仕事、医師会、看護学院、家庭、スポーツなど)状態にあるなーと、今感じています。
が、今日までの人生を考えますと「大変な」ことも沢山ありました。
生死の境も数回経験しました。が、おかげさまで<何のおかげかなーと、折々に考えることです>
現在は、無事、健康で、生活にも困らず(贅沢はできませんが)、妻子も健康で、毎日の診療生活ができています。ささやかなレジャーも楽しめています。
長年の経験を生かした「健康生活」発信に、ホームページとブログを立ち上げています。
<ご縁の方々に見ていただけたら嬉しいです>
有難いなー!!と思う毎日であります。
嬉しく、楽しく、有難く、元気で、仲よく生き、ささやかでも「世のため人のためにお役にたてるように」生きていこうと考えながら努力中でございます。
すざまじい人生を生きる人もあれば、穏やかな人生を生きる人もあります。
長生きな人生もあれば、短命な人生もあります。さらに、幸福な人生と不幸な人生、豊かな人生と貧しい人生、愛に満ちた人生と愛に恵まれない人生、自分以外の人の幸せを願う人生と、自分のことばかり考える人生、健康な人生と病弱な人生、穏やかな人生と波乱万丈の人生・・・
なんと様々な人生があるものだなーと、改めて感心しています。
人間は平等である!といいますが、これは「生命の尊厳性」において平等なのであって、地球上に生きる人間はまったく平等ではありません。
その根源的な意味は確定しにくいことですが、「前世」と、この世の「生きざま」の結果ではないだろうか・・・と考える昨今であります。
私は、現在、立派な人に比べるとささやかですが、比較的に安定な(健康、仕事、医師会、看護学院、家庭、スポーツなど)状態にあるなーと、今感じています。
が、今日までの人生を考えますと「大変な」ことも沢山ありました。
生死の境も数回経験しました。が、おかげさまで<何のおかげかなーと、折々に考えることです>
現在は、無事、健康で、生活にも困らず(贅沢はできませんが)、妻子も健康で、毎日の診療生活ができています。ささやかなレジャーも楽しめています。
長年の経験を生かした「健康生活」発信に、ホームページとブログを立ち上げています。
<ご縁の方々に見ていただけたら嬉しいです>
有難いなー!!と思う毎日であります。
嬉しく、楽しく、有難く、元気で、仲よく生き、ささやかでも「世のため人のためにお役にたてるように」生きていこうと考えながら努力中でございます。
2012年7月18日水曜日
苦と楽
人生には、苦と楽、幸福と不幸、健康と病気、豊かさと貧しさ、喜びと悲しみなどが現れてくるようです。なぜそのような相反する事象が起こるのかは、はっきりとは断言できませんが、先祖代々の遺伝と、自分の前世においての行為の結果と、その人の「この世における考え方と努力(心と言葉と行い)」の結果ではなかろうかと、折々に考えることです。
これらの中の、「いいこと」ばかりがあれば”幸せ””ラッキイ”ですが、どうも、人生にはこの両方が、その折々に現れてくるようであります。
「いいことが起こる」のは、ご先祖の徳、親の徳、前世での善行、この世での徳積み・・・などの結果ではないだろうか、と、折々に、また”ふと”、考えることです。
いいことが起こったら「喜び感謝する」 良くないことが起こったら、反省し好転の努力をする、と、人生は(運命は)いいほうに進んでいく!と考える昨今であります。
「難あり、有難し!」(黒住宗忠)という教えもあります。
難儀が起こった時、「天の試練!」「良くなるチャンス!」と受け止めて、明るく努力すれば、幸せな、より良い人生が展開するのではないでしょうか。
不平不満で努力を怠れば、もっと悪い状況を招くのではないでしょうか。
良くない状況が起きた時、”天の試練!良くなるチャンス”もっと悪いよりマシ!”と受け止めて努力すれば、前よりも良くなるのではないでしょうか。
<そしたら、天の神様が、祝福し、ニッコリ笑って見てくださるのではないでしょうか>
人間は平等である!と言います。が、現実はまったく平等ではありません。
でも、この「平等ではない姿」が平等なのではないか・・と考える昨今であります。
真面目に、明るく、仲よく、世のため人のために尽くした人と、ふぃしだらに、暗く、争い、攻め、自分のことばかり考えて生きてきた人と、「同じ、平等」では、どう考えてみてもオカシイですねー。
そのような「自分と親と先祖」の、こころ・ことば・行いの積み重ねが人間の「現在」を形づくってているのではないだろうか、と考えることです。
五日市剛さんの「いいことがあったら”感謝します”良くないことが起こったら”有難う!”という言葉を思い出しています。
これらの中の、「いいこと」ばかりがあれば”幸せ””ラッキイ”ですが、どうも、人生にはこの両方が、その折々に現れてくるようであります。
「いいことが起こる」のは、ご先祖の徳、親の徳、前世での善行、この世での徳積み・・・などの結果ではないだろうか、と、折々に、また”ふと”、考えることです。
いいことが起こったら「喜び感謝する」 良くないことが起こったら、反省し好転の努力をする、と、人生は(運命は)いいほうに進んでいく!と考える昨今であります。
「難あり、有難し!」(黒住宗忠)という教えもあります。
難儀が起こった時、「天の試練!」「良くなるチャンス!」と受け止めて、明るく努力すれば、幸せな、より良い人生が展開するのではないでしょうか。
不平不満で努力を怠れば、もっと悪い状況を招くのではないでしょうか。
良くない状況が起きた時、”天の試練!良くなるチャンス”もっと悪いよりマシ!”と受け止めて努力すれば、前よりも良くなるのではないでしょうか。
<そしたら、天の神様が、祝福し、ニッコリ笑って見てくださるのではないでしょうか>
人間は平等である!と言います。が、現実はまったく平等ではありません。
でも、この「平等ではない姿」が平等なのではないか・・と考える昨今であります。
真面目に、明るく、仲よく、世のため人のために尽くした人と、ふぃしだらに、暗く、争い、攻め、自分のことばかり考えて生きてきた人と、「同じ、平等」では、どう考えてみてもオカシイですねー。
そのような「自分と親と先祖」の、こころ・ことば・行いの積み重ねが人間の「現在」を形づくってているのではないだろうか、と考えることです。
五日市剛さんの「いいことがあったら”感謝します”良くないことが起こったら”有難う!”という言葉を思い出しています。
2012年6月17日日曜日
「いのち・人生・運命」の言葉
1 年ごとに 咲くや吉野の桜花(さくらばな) 木を割りて見よ 花のありかを (古歌)
2 「生を明らめ死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり」 (道元)
3 「昨日は行き明日はまだ来ず、有難きかな今日のただ今」 (黒住宗忠)
4 「人間は 奇跡的存在である」 (最近の書物より)
5 「命を拝む」 (自分の、相手の、地球上のすべての人の)
6 「人間は神の子」 <神の膝に抱かれ、神の乳房を吸え>
7 「天に星 地に花 人に愛」 (武者小路実篤)
8 「人類は兄弟」 (人間は”縁”に生かされている)
9 誠は天の道なり これを誠にするは 人の道なり
10 「おもい」は実現する。いいことを思い、良くないことは思わないこと。
11 「良い言葉」を口にすること。悪い言葉は言わないこと。
12 目に光を 心に太陽を 唇に歌を持て
13 「食は命なり」 (水野南北)
14 「良き人に会い、良き縁に会い・・・」 (道元)
15 「いやなことがあったら”ありがとう!”と言う。「いいことがあったら”感謝します!と言う”
(五日市 剛=イスラエルの老婦人の言葉)
16 (いやなことや、つらいこと、苦しいことや、異常事態が起きたら)”面白いことが起きた!”と言ってみな。奇跡が起きるから (斉藤一人)
17 人間は感情の動物である。「感情のコントロール」が幸せへの第一歩。(秀)
18 「しあわせ」のコツは「今ある”良いもの”」に感謝すること。
<人間には、いいものが半分、良くないものが半分(5割)あると思う。いいほうを見て喜び感謝する人はシアワセ!良くなうほうを見て不平不満を言う人はフシアワセ!>
19 自分のことばかり考えないで、まず「人」の幸せを願って言動する。 (秀)
20 服装は、すっきり、爽やか、明るく。 (秀)
21 「まず身を起こし、笑顔を作れ」 大きな息をせよ!(最悪の状況で) (秀)
22 「君は君、われは我なり、されど仲良き」 (武者小路実篤)
23 「笑顔」は健康と幸せへの第一歩。 (秀)
24 心を起こそうと思ったら、まず身を起こせ (先哲の言葉)
今日までン十年の人生の中で、学び、考え、教えられた言葉です。この文章がお目に留まった方の(縁!)、人生のご参考に少しでもなれば嬉しいことです。
2 「生を明らめ死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり」 (道元)
3 「昨日は行き明日はまだ来ず、有難きかな今日のただ今」 (黒住宗忠)
4 「人間は 奇跡的存在である」 (最近の書物より)
5 「命を拝む」 (自分の、相手の、地球上のすべての人の)
6 「人間は神の子」 <神の膝に抱かれ、神の乳房を吸え>
7 「天に星 地に花 人に愛」 (武者小路実篤)
8 「人類は兄弟」 (人間は”縁”に生かされている)
9 誠は天の道なり これを誠にするは 人の道なり
10 「おもい」は実現する。いいことを思い、良くないことは思わないこと。
11 「良い言葉」を口にすること。悪い言葉は言わないこと。
12 目に光を 心に太陽を 唇に歌を持て
13 「食は命なり」 (水野南北)
14 「良き人に会い、良き縁に会い・・・」 (道元)
15 「いやなことがあったら”ありがとう!”と言う。「いいことがあったら”感謝します!と言う”
(五日市 剛=イスラエルの老婦人の言葉)
16 (いやなことや、つらいこと、苦しいことや、異常事態が起きたら)”面白いことが起きた!”と言ってみな。奇跡が起きるから (斉藤一人)
17 人間は感情の動物である。「感情のコントロール」が幸せへの第一歩。(秀)
18 「しあわせ」のコツは「今ある”良いもの”」に感謝すること。
<人間には、いいものが半分、良くないものが半分(5割)あると思う。いいほうを見て喜び感謝する人はシアワセ!良くなうほうを見て不平不満を言う人はフシアワセ!>
19 自分のことばかり考えないで、まず「人」の幸せを願って言動する。 (秀)
20 服装は、すっきり、爽やか、明るく。 (秀)
21 「まず身を起こし、笑顔を作れ」 大きな息をせよ!(最悪の状況で) (秀)
22 「君は君、われは我なり、されど仲良き」 (武者小路実篤)
23 「笑顔」は健康と幸せへの第一歩。 (秀)
24 心を起こそうと思ったら、まず身を起こせ (先哲の言葉)
今日までン十年の人生の中で、学び、考え、教えられた言葉です。この文章がお目に留まった方の(縁!)、人生のご参考に少しでもなれば嬉しいことです。
2012年5月14日月曜日
春の身体検査より
(線が正しい大きさです)
一年前に紹介しましたが、今年も中学の春の身体検査で「心臓肥大」の生徒を多く認めました。
線が正しい大きさで、右方(向かって左)に拡大(肥大)があり、これは「ビタミンB1の欠乏の症状の一つです。
栄養が行き渡っている現在、”ビタミンB1の欠乏はないのでは?”という言葉も聞かれますが、私は長年の経験から、”そんなことはない、ある!”という結論に至っています。
「ビタミンB1の欠乏症状」は、1)肺動脈第二音の亢進 2)最低血圧の下降 3)心臓の右方拡大 4)アキレス腱反射ははじめ亢進、後に減退、5)筋肉痛・易疲労性・・・などがあります。
これらの症状がそろった生徒が多く見られますので(しかも毎年!)、私は前記のような結論を抱いている次第です。
自覚症状としましては、だるい、疲れやすい、寝起きが悪い、筋肉痛、キレやすい、などがあるはず!?ですが、中学生は(子供は)なかなか自分からは訴えません。
が、一緒に来た親に尋ねますと”みなあります”という答えが、全員返ってきます。
中学生は”若い”です。若さの元気があります。
こんな症状を持ちながら、通学し、勉強し、体育をし、クラブ活動をし、さらに塾に通っている人もあります。その若さには感心しますが、来院時に(健康相談に)尋ねてみますと、みな上記の症状を持っています。
血圧は、成人の正常値は120--80mmHgで、小児の場合はこれよりもいくらかは低くてもいいのですが、それでも、最低血圧が40とか50とかは低すぎると思います。が、実際はこんな数値を持った中学生が多く見られます。<それでも、今言ったように、ケナゲに、一見元気に、勉強に運動に励んでいるので、今後どのように指導したらよいのか考えることです>
「ビタミンB1]を多く含む食品は、玄米・麦・豆類(大豆・小豆・そら豆など)・豚肉など。
VB1を奪う食品は、甘いものすべて、白米、アルコールすべてと、ストレス、過度の運動などです。
<ビタミンB1の欠乏している人は、カルシュウムも欠乏(不足)していると考えられますので、カルシュウムもしっかりと摂ることが大切と考えます>
ビタミンB1とカルシュウムは、子供の健全な成長と発育に非常に重要ですが、成人の健康のためにも大切であります。<お子様の検査についてきたお父さんも、症状(倦怠高度)を訴えられていましたので検査しましたところ、親子そろって心臓肥大と最低血圧の下降がありました<しかも、この父親は、体は大きい(80キロ)のに肺の大きさは小さかった(子供と同じくらい?)
これでは血圧も上がるし、疲労は大きいだろうと思います>
いろいろ教えてあげましたが、このような方々が今の日本では増えているのではなかろうか・・と思うことです。
この小文を見てくださった方が、ビタミン(とカルシュウム)の必要性を自覚していただけたら嬉しいことです。
2012年4月15日日曜日
「しあわせ」考
「しあわせ」とは、個人の価値観にの差により、いくらかの変化や差異はあるでしょうが、一般的に考えましたら、1(肉体と精神の)健康 2経済の安定 3人間関係の和(調和)が満たされている状態であり、さらに言えば、世のため人のために役立つ仕事をしている、ことも一つの大事な要素でありましょう。
この「しあわせ」を、人間は何歳ころから認識するのでしょうか?
早く認識、自覚するほど、立派な人間である、ように感じています。(最近は、幼稚園で「お父さん、お母さん、ありがとう!」と言わせるような教育をしているようですが・・・、果たしてどれだけ心からそう思っているのか、という気もします)<でも、そのように表現する習慣をつけることは、大切なことであると考えます>
今日も、NHKのど自慢に出演した若い人が、”お父さん(お母さん)ありがとう!”と、二三人言っておられました。素晴らしいことだなー、と感心しながら聞いていました。
「自覚し、表現する」ことが、人生において大切なことのようであります。
その「自覚」は、人生をいくらか生きて、一苦労、二苦労してから生まれるような気がしています。
”飢えた者でないと食物の有難さはわからない””寒さに震えた者でないと太陽の暖かさはわからない”という言葉があります。
幸せの表現は、笑顔で、言葉で、態度で、行動で、手紙で、表すものでありましょう。
小さなことでも、大きく幸せの感謝の表現ができたら、みんな、さらに「しあわせ」になれますねー。
自分も嬉しいですねー。
「嬉しく、楽しく、有難く」毎日を生きていたら、さらに大きな”しあわせ”が訪れるでしょう。
”喜べ、と言っても、何も喜ぶようなことは無いデー”という人もあるかもしれません。
でも、胸に手を当てて!考えてみてください。元気で生きているではありませんか。食物もあり、着るものもあり、住む家もあるではありませんか。勉強ができたり、仕事を持ったり、家族を持ったり、趣味や娯楽を楽しんだりしているではありませんか。
「それらができない」と考えてみてください。「今」の状態がどれほど「良い」か、わかるはずです。
その「しあわせ」の自覚と行動から、さらなる「しあわせ」の増大が生じることでありましょう。
矢作橋の下で菰をかぶって寝ていた少年(秀吉)はのちに天下を手に入れました<その時点での最高の幸せ>十代で厳しい労働をしていた少年(幸之助)は、のちに世界的富豪になられました。
ひがまず、ひるまず、「その時その時」に”幸せを感じながら”最善を尽くした結果でありましょう。
人間は、人生は、最低と思えるような条件でも、最高な条件を勝ち取ることができるのです。
今幸せな人は、その「しあわせ」を感謝しながら明るく生きていたら、さらなる”しあわせ”を得るでしょうし、”しあわせでない”と思ている人は、今一度「自分の、心と体と環境」の見直しをされ、いいところを発見され、それを伸ばしていく努力をされましたら、「いい人生」が展開してくるのではないかと考えます。<わかったような、ことを言っていますが、私も、日々、努力中です>
この「しあわせ」を、人間は何歳ころから認識するのでしょうか?
早く認識、自覚するほど、立派な人間である、ように感じています。(最近は、幼稚園で「お父さん、お母さん、ありがとう!」と言わせるような教育をしているようですが・・・、果たしてどれだけ心からそう思っているのか、という気もします)<でも、そのように表現する習慣をつけることは、大切なことであると考えます>
今日も、NHKのど自慢に出演した若い人が、”お父さん(お母さん)ありがとう!”と、二三人言っておられました。素晴らしいことだなー、と感心しながら聞いていました。
「自覚し、表現する」ことが、人生において大切なことのようであります。
その「自覚」は、人生をいくらか生きて、一苦労、二苦労してから生まれるような気がしています。
”飢えた者でないと食物の有難さはわからない””寒さに震えた者でないと太陽の暖かさはわからない”という言葉があります。
幸せの表現は、笑顔で、言葉で、態度で、行動で、手紙で、表すものでありましょう。
小さなことでも、大きく幸せの感謝の表現ができたら、みんな、さらに「しあわせ」になれますねー。
自分も嬉しいですねー。
「嬉しく、楽しく、有難く」毎日を生きていたら、さらに大きな”しあわせ”が訪れるでしょう。
”喜べ、と言っても、何も喜ぶようなことは無いデー”という人もあるかもしれません。
でも、胸に手を当てて!考えてみてください。元気で生きているではありませんか。食物もあり、着るものもあり、住む家もあるではありませんか。勉強ができたり、仕事を持ったり、家族を持ったり、趣味や娯楽を楽しんだりしているではありませんか。
「それらができない」と考えてみてください。「今」の状態がどれほど「良い」か、わかるはずです。
その「しあわせ」の自覚と行動から、さらなる「しあわせ」の増大が生じることでありましょう。
矢作橋の下で菰をかぶって寝ていた少年(秀吉)はのちに天下を手に入れました<その時点での最高の幸せ>十代で厳しい労働をしていた少年(幸之助)は、のちに世界的富豪になられました。
ひがまず、ひるまず、「その時その時」に”幸せを感じながら”最善を尽くした結果でありましょう。
人間は、人生は、最低と思えるような条件でも、最高な条件を勝ち取ることができるのです。
今幸せな人は、その「しあわせ」を感謝しながら明るく生きていたら、さらなる”しあわせ”を得るでしょうし、”しあわせでない”と思ている人は、今一度「自分の、心と体と環境」の見直しをされ、いいところを発見され、それを伸ばしていく努力をされましたら、「いい人生」が展開してくるのではないかと考えます。<わかったような、ことを言っていますが、私も、日々、努力中です>
2012年3月14日水曜日
「胃」の話
「胃」は、人体を構成する臓器の中の消化器系の主要な臓器です。
オギャーと生まれて、おっぱいを飲み始めた時から、死ぬまで、毎日お世話になる臓器です。
胃が丈夫で、飲食のトラブルがない、痛みも胸焼けもない幸せな人もありますが、痛みや不快な症状に悩まされる人もあります。
「胃」のことを全部話すのは大変ですので、今日は胃に関しての参考事項について考えてみます。
生まれつき胃が丈夫な人もあるようです(いい遺伝)が、いいのに任せて暴飲暴食を続けていると、胃のトラブルで大変なこと(胃潰瘍・胃炎・はてはガン!?も)が起こることがあります。
弱い(と自分で思っている)胃の人でも、養生に心がけ、胃を大事にしていると、案外胃は順調に働いてくれるものです。
胃に上手に働いてもらうコツは、1)食事は控えめに(腹八分とか腹七分とかがいいようです)
2)食事の間隔をあける(できたら5時間くらい)
3)心を平安に保つ・・腹立ち・心配・悩みが続くと胃を(本当は胃だけではありませんが)痛めます。
4)お菓子やジュースやアルコールは胃に悪い。(少しはいい)
5)胃に感謝する、お礼を言う。
6)腹式呼吸、おなかのマッサージ。
7)冷やさない、締め付けない。
などだと思います。よかったらお試しになってください。
胃を酷使(暴飲暴食を続ける)するのは良くないことは当然ですが、使わないのも胃に良くないようです。以前、胃が良くないのでレントゲンを撮ってくれ、という患者様が来られました。
その方が言われるのに”私は、食事はおかゆとビールです。それを続けているので、私の胃は小さくなっていると思います”とのことでした。
で検査しましたところ、小さいどころか、大きく拡張し、しかもだらりと下垂し、骨盤まで下がっていました。
胃にあまり苦労を掛けないほどに、適当に働いてもらう(飲食)ことが大切のようであります。
使わないと、弛緩、下垂、拡張するのですねー。
胃は、内側から、粘膜、筋層、漿膜の三層でできています。
粘膜は、3日したら生まれ変わるそうですので、胃の軽い異常は3日用心したら良くなるはずです。
<養生・用心しなかったら、いつまでも「今」の状況が続きます>
筋肉は、腹筋運動などすれば、いくらかは丈夫になるのではないかと考えます。
「胃の悪い」人は、”胃が悪い、胃が悪い!”と言いますが、本当は「胃が悪い」のではなく、「胃を悪くした本人が悪い」のです。”悪くしてごめんな!これから気を付けて大事にするから、また頑張ってな!”と言って養生に心がけると、胃はまた喜んで快調に働いてくれるはずです。
オギャーと生まれて、おっぱいを飲み始めた時から、死ぬまで、毎日お世話になる臓器です。
胃が丈夫で、飲食のトラブルがない、痛みも胸焼けもない幸せな人もありますが、痛みや不快な症状に悩まされる人もあります。
「胃」のことを全部話すのは大変ですので、今日は胃に関しての参考事項について考えてみます。
生まれつき胃が丈夫な人もあるようです(いい遺伝)が、いいのに任せて暴飲暴食を続けていると、胃のトラブルで大変なこと(胃潰瘍・胃炎・はてはガン!?も)が起こることがあります。
弱い(と自分で思っている)胃の人でも、養生に心がけ、胃を大事にしていると、案外胃は順調に働いてくれるものです。
胃に上手に働いてもらうコツは、1)食事は控えめに(腹八分とか腹七分とかがいいようです)
2)食事の間隔をあける(できたら5時間くらい)
3)心を平安に保つ・・腹立ち・心配・悩みが続くと胃を(本当は胃だけではありませんが)痛めます。
4)お菓子やジュースやアルコールは胃に悪い。(少しはいい)
5)胃に感謝する、お礼を言う。
6)腹式呼吸、おなかのマッサージ。
7)冷やさない、締め付けない。
などだと思います。よかったらお試しになってください。
胃を酷使(暴飲暴食を続ける)するのは良くないことは当然ですが、使わないのも胃に良くないようです。以前、胃が良くないのでレントゲンを撮ってくれ、という患者様が来られました。
その方が言われるのに”私は、食事はおかゆとビールです。それを続けているので、私の胃は小さくなっていると思います”とのことでした。
で検査しましたところ、小さいどころか、大きく拡張し、しかもだらりと下垂し、骨盤まで下がっていました。
胃にあまり苦労を掛けないほどに、適当に働いてもらう(飲食)ことが大切のようであります。
使わないと、弛緩、下垂、拡張するのですねー。
胃は、内側から、粘膜、筋層、漿膜の三層でできています。
粘膜は、3日したら生まれ変わるそうですので、胃の軽い異常は3日用心したら良くなるはずです。
<養生・用心しなかったら、いつまでも「今」の状況が続きます>
筋肉は、腹筋運動などすれば、いくらかは丈夫になるのではないかと考えます。
「胃の悪い」人は、”胃が悪い、胃が悪い!”と言いますが、本当は「胃が悪い」のではなく、「胃を悪くした本人が悪い」のです。”悪くしてごめんな!これから気を付けて大事にするから、また頑張ってな!”と言って養生に心がけると、胃はまた喜んで快調に働いてくれるはずです。
2012年2月14日火曜日
「喜び」「喜ぶ」「喜べ」「喜ばせ」
「喜び」は、精神的に、肉体的に、物質的に、社会的に”いい状態”のときに心の底から湧き出る感情でありましょう。
「喜ぶ」は、喜びを感じた心の感受性と表現でしょうか。
「喜べ」は、いいものや幸せがあるのに、それを感じない人に言う言葉でしょうか。
「喜ばせる」・・・自分が、今の”いいもの”を感じて喜ぶことは大事ですが、自分以外の人を喜ばせることも、「この世」を生きるためには大変大切なことではないでしょうか。
「喜び」は、子供たちが食卓を囲んで、”おいしい、おいしい”といって食事をするとき・・・といった歌人があります。
”喜べと言っても、なにも喜ぶようなことはないで”(ないのに喜べない)という人もあるでしょうが、ほんとにないのか!?
”心の目”を開いたら、沢山の真実が見える!と説く人もあります。<真実の見えない”真実盲”、幸福の見えない”幸福盲”などもあるのでは・・・?>
”生きている、「今」を喜べ!”といった人があります。
「息ができる」ことはあたりまえのようにみな思っているのではないでしょうか。が、喘息で息のできない人から話を聞きました。喘息の発作のときは、息を吸うのも吐くのも苦しい。注射で息ができるようになったとき、息ができるのがこんなにありがたいものかと感じた!とのことです。
息だけではありません。歩けるのも、手が動くのも、胃腸が順調に働いて、消化吸収したり、便を作ってくれたり、心臓がちゃんと動いてくれたり、頭が正常に働いてくれたりと、体のことだけを考えてみても有難いことばかりです。これらの一つでもできなくなったと考えてみてください。「当たり前」がどんないに有難い状態かが良くわかるはずです。
身体的に、精神的に、社会的に、「今ある良いものに感謝」して(喜んで)生きていれば、いい状態はおそらく一生続くでしょう。
”当たり前じゃー”といって喜びと感謝を忘れ、気ままに好き勝手に振る舞っていたら、或る日あるとき「大変な目」にあう可能性も増えてくるのではないでしょうか。
でも、一度に急に大変な事情が起こってくるわけではないようです。「軽い異常」として、”天の忠告”は何度も来るようです。その忠告を素直に受け止め、「自然」を中心とした対応を心がければ、その人は、また、「当たり前」のいい状態が得られるのではないでしょうか。
忠告を無視し、自我を通し続けていると、事態は悪化の道をたどるのではないでしょうか。
異常にならない、なっても気をつけたら好転する、「もと」の一つ
は、「喜ぶ、喜ばす」ことにあるのではないかと考えることです。
立春はすぎたのに、大変寒気の厳しい日が続いています。皆様、保健に充分お気をつけください。
「喜ぶ」は、喜びを感じた心の感受性と表現でしょうか。
「喜べ」は、いいものや幸せがあるのに、それを感じない人に言う言葉でしょうか。
「喜ばせる」・・・自分が、今の”いいもの”を感じて喜ぶことは大事ですが、自分以外の人を喜ばせることも、「この世」を生きるためには大変大切なことではないでしょうか。
「喜び」は、子供たちが食卓を囲んで、”おいしい、おいしい”といって食事をするとき・・・といった歌人があります。
”喜べと言っても、なにも喜ぶようなことはないで”(ないのに喜べない)という人もあるでしょうが、ほんとにないのか!?
”心の目”を開いたら、沢山の真実が見える!と説く人もあります。<真実の見えない”真実盲”、幸福の見えない”幸福盲”などもあるのでは・・・?>
”生きている、「今」を喜べ!”といった人があります。
「息ができる」ことはあたりまえのようにみな思っているのではないでしょうか。が、喘息で息のできない人から話を聞きました。喘息の発作のときは、息を吸うのも吐くのも苦しい。注射で息ができるようになったとき、息ができるのがこんなにありがたいものかと感じた!とのことです。
息だけではありません。歩けるのも、手が動くのも、胃腸が順調に働いて、消化吸収したり、便を作ってくれたり、心臓がちゃんと動いてくれたり、頭が正常に働いてくれたりと、体のことだけを考えてみても有難いことばかりです。これらの一つでもできなくなったと考えてみてください。「当たり前」がどんないに有難い状態かが良くわかるはずです。
身体的に、精神的に、社会的に、「今ある良いものに感謝」して(喜んで)生きていれば、いい状態はおそらく一生続くでしょう。
”当たり前じゃー”といって喜びと感謝を忘れ、気ままに好き勝手に振る舞っていたら、或る日あるとき「大変な目」にあう可能性も増えてくるのではないでしょうか。
でも、一度に急に大変な事情が起こってくるわけではないようです。「軽い異常」として、”天の忠告”は何度も来るようです。その忠告を素直に受け止め、「自然」を中心とした対応を心がければ、その人は、また、「当たり前」のいい状態が得られるのではないでしょうか。
忠告を無視し、自我を通し続けていると、事態は悪化の道をたどるのではないでしょうか。
異常にならない、なっても気をつけたら好転する、「もと」の一つ
は、「喜ぶ、喜ばす」ことにあるのではないかと考えることです。
立春はすぎたのに、大変寒気の厳しい日が続いています。皆様、保健に充分お気をつけください。
2012年1月18日水曜日
「喜び」(肉体・精神・いのち・魂の)
「喜び」とは、肉体的な喜び(身体の各部が健全で、食欲・睡眠欲・性欲が満たされたとき)、物質的な喜び(欲しいものが手に入った・素晴らしいものをプレゼントされたなど)、褒められた・役に立った・いいことをしたときの精神的な喜び、これらがさらに昇華したときの「魂の喜び」などがあるように感じています。
肉体的に、物質的に、精神的に、社会的に、「整った・優れた」ときに人は喜びを感じるものでありますが、「整わない・優れていない・物足りない・・・」ときはどんな感情を持つのでしょうか。
たぶん、満たされない、さみしい、つらい、情けない、やるせない、腹が立つ・・・などの感情が生まれるのだと思います。
が、この「感情というもの」は、大いに「主観的」であります。
いい感情も、悪い感情も、「自分」が感じ、思うのです。人から感情を強制されることはまずありません。「自分が思い、感じる」のであります。
その「感情」は、自分が今日まで生きてきた教育と環境(育ち)と遺伝によるものでありましょう。
いい時に喜ぶ(喜べる)のは誰でもですが、よくない(と感じている)ときに、どう感じ、どう思い、どう反応するか、どう生きてゆくかが、そしてその積み重ねが「人生」を形づくるのですねー。
前にも書きましたが、「当たり前」(生きている、見える、食べられる、息ができる、歩ける、便が出る、仕事ができる、家族がある・・・などなど、あって当たり前ですが、「当たり前」であることは、大変素晴らしい!!ことなのですねー。これらの一つでもできないと考えてみてください。大変なことです!えらいことです。
その「大変ありがたいこと」を、どれだけ感じているか、喜んでいるか・・・が問題なのですねー。
「当たり前の有難さ」を感じ、喜びと感謝に生きる人は、さらに喜びと幸せが増えてくるでしょう。
そんなものは当たり前じゃー、と感謝を忘れ、良くないところばかりを気にして不平不満で生きていると、良くない状況は増大・増幅して、さらに勉強させられるようになるのではないでしょうか。
「問題の出ない人生はない」といいます。人生問題が出るのは、その人がさらに進歩成長するためのテスト(試練)のように感じています。
「難あり、有難し!」という言葉もあります。<難儀なことが起こった。懸命に努力し、前よりよくなった。難儀なことが起こってよかった!>というようになれば、みんな「シアワセ」ですねー。
いろいろ起きてくる人生問題を、”あ、これは良くなるチャンス!”と明るく前向きにとらえ、ニッコリと、背筋を伸ばして、生きてまいりましょう。「だんだん良くなる・良くなっている」と唱えながら。
「悪いこと」が起こっても、「もっと悪いよりはマシ!」と思考の転換ができたら幸せですねー。
肉体的に、物質的に、精神的に、社会的に、「整った・優れた」ときに人は喜びを感じるものでありますが、「整わない・優れていない・物足りない・・・」ときはどんな感情を持つのでしょうか。
たぶん、満たされない、さみしい、つらい、情けない、やるせない、腹が立つ・・・などの感情が生まれるのだと思います。
が、この「感情というもの」は、大いに「主観的」であります。
いい感情も、悪い感情も、「自分」が感じ、思うのです。人から感情を強制されることはまずありません。「自分が思い、感じる」のであります。
その「感情」は、自分が今日まで生きてきた教育と環境(育ち)と遺伝によるものでありましょう。
いい時に喜ぶ(喜べる)のは誰でもですが、よくない(と感じている)ときに、どう感じ、どう思い、どう反応するか、どう生きてゆくかが、そしてその積み重ねが「人生」を形づくるのですねー。
前にも書きましたが、「当たり前」(生きている、見える、食べられる、息ができる、歩ける、便が出る、仕事ができる、家族がある・・・などなど、あって当たり前ですが、「当たり前」であることは、大変素晴らしい!!ことなのですねー。これらの一つでもできないと考えてみてください。大変なことです!えらいことです。
その「大変ありがたいこと」を、どれだけ感じているか、喜んでいるか・・・が問題なのですねー。
「当たり前の有難さ」を感じ、喜びと感謝に生きる人は、さらに喜びと幸せが増えてくるでしょう。
そんなものは当たり前じゃー、と感謝を忘れ、良くないところばかりを気にして不平不満で生きていると、良くない状況は増大・増幅して、さらに勉強させられるようになるのではないでしょうか。
「問題の出ない人生はない」といいます。人生問題が出るのは、その人がさらに進歩成長するためのテスト(試練)のように感じています。
「難あり、有難し!」という言葉もあります。<難儀なことが起こった。懸命に努力し、前よりよくなった。難儀なことが起こってよかった!>というようになれば、みんな「シアワセ」ですねー。
いろいろ起きてくる人生問題を、”あ、これは良くなるチャンス!”と明るく前向きにとらえ、ニッコリと、背筋を伸ばして、生きてまいりましょう。「だんだん良くなる・良くなっている」と唱えながら。
「悪いこと」が起こっても、「もっと悪いよりはマシ!」と思考の転換ができたら幸せですねー。
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