現代、スポーツと呼ばれるものは、健康のため、趣味のため、クラブ活動として、また職業として、またオリンピックに出るため、など沢山の種類があります。
私が今日までやってきたものは、正科としては剣道、させられたものはサッカー、自分でしたものは水泳などがあります。少年時代はまき割りや農業(勤労奉仕で)もしました。拭き掃除は祖母に褒められて、子供の時によくやりました。
ゴルフは16-7年しました。”こんな楽しいことは死ぬまでやめられない”と思っていましたが、50歳を過ぎたころ、体調の不良をきたしてやめました。
体調の回復とともに、卓球、バトミントン、軟式庭球を始めました。そして、この調子ならできそうだ!と硬式庭球をはじめました。それから早いもので20数年になります。
テニスは、楽しく、短時間で満足でき(午後のひと時にできます)、往復に時間がかかりません(今は片道5分)一人でもできます。二人でもできます。仲間が数人集まれば最高です。道具にあまりお金がかかりません。危険性がありません。
ゴルフでのナイスショットは、18ホールを回って、まあ数回でしょうが(われわれレベル?)、テニスのそれは、2時間で何十回もあります。(ある女性プレイヤーが、いい当たりをしたら快感だわー!と言ったことがあります)
ゴルフをした十数年、私はそれで健康になった記憶はありません。朝早く家を出、一日中クラブをさげて歩き周り、暗くなって家に帰る・・・と、疲れた記憶が多く残っています。家庭サービスも怠っていました。
が、テニスを始めて20数年、健康になりました!時間も少なくてすみます(週2回、一回2時間で充分楽しめます)
習い事にも運動にも、上手下手があります。スジの良しあしもあります。(師の良しあしもある?)
20数年やって、自分では中の下?くらいかなと思っています(上手な人から見たら下手、始めたばかりの人から見たらビックリするほどウマイ!)が、最近ラリー(二人で打ち合い)を始めた30歳の男性は、テニスを始めて1か月だというのに、僕とほぼ対等に打っています。
ハンサムで気立てのよい青年です。こんないい人がいるんだなーと、嬉しく驚きながらテニスを楽しんでいるところです。
火曜と金曜の午後、楽しい嬉しいテニスの時間ですが、時には雨の日もあります。
が、こんな日には、「晴耕雨読!」<晴れた日には畑を耕し、雨の日には読書を楽しむ>と、時間を有効に使うよう、心がけています。
テニスをすると利き手が長くなる!?と子供のころ耳にしましたが、経験的にそんなことはないようです。ご心配なく。
私が通っているテニスクラブでは、幼児や小学生がテニスを楽しそうにやっています。
こんないい環境でテニスのできる子供は幸せだなー、いい時代だなー、日本は平和だなー、と嬉しく思うことであります。
2011年11月4日金曜日
「徳」について
「徳」1)道を悟った立派な行為。善い行いをする性格。身についた品性。
”徳が高い道徳・徳性・人徳・美徳
2)人を感化する人格の力 めぐみ、神仏の加護
3)利益、もうけ、富。
と広辞苑にありますが、ここでは(1)として考えてみたいと思います。
健康・経済・人間関係など、生存条件に恵まれて順調に「この世」を生きておられる人を、”あの人は得な(徳な)人だと世間では言います。
でも、世の中ではそんな人ばかりではありません。つらい、苦しい、痛い、悩ましい人も、金銭問題で苦労する人もあります。
また、同じように「人間」として地球上に生まれて来たのに、愛情・経済・健康・和に恵まれた素晴らしい境遇に生まれてくる人もあれば、厳しい、つらい、苦しい環境のもとに生まれてくる人もあります。
人間は平等だ!といいます。が、地球上の現実に目をやれば、一人ひとり、まったく平等ではありません。 私は医師ですので、肉体面、健康面について考えてみたいのですが、この面でも、人間はまったく平等ではありません。丸々と太って健康に生まれてくる人もあります。生存ぎりぎりの病弱体質で生まれてくる人もあります。<ただし、弱く生まれてきた人でも、心がけと努力次第で、百歳まで生きた人もおられます(以前に書きました)ので、これまた「不思議、フシギ!」という気がしていますが・・・。
非常に経済的に社会的に厳しい環境に生まれた人でも、天下を取った秀吉さんや、世界的な富豪の仲間入りされた松下さんや、日本一の多額納税者になられた斉藤一人さんなど、運命を好転された方がおられます。
そうしてみますと、「努力と心がけ」次第で、健康も運命も経済も、いくらでも向上してくるのですねー。
人間は平等である、というのは、わたしは「いのちの尊厳性」において平等である!と考えています。いのちの尊厳性はみな平等なのです。<だから、お互いに尊敬しあわねばならない!>
だが、地球上の物質的条件や肉体的な条件は一人ひとりみな違う!
なぜか!?現代の唯物論の社会では、この答えを出すことはできませんが、私が今まで学んだり考えたり教わったり読んだりしたことから考えますと、「人間には”生まれ変わり”がある。前世をいかに生きたか、によって、”この世”の運命が(一応)定められる」という結論が出ます。
押しつけもできませんが、なにかのご参考になりましたら嬉しいです。
「天の倉に徳を積む」
「徳あるは褒むべし、徳無きは憐れむべし」
「徳は孤ならず、必ず隣あり」
「徳をもって怨みに報いる」<昭和20年の終戦時、中華民国の蒋介石総統は、こう言って、日本からの賠償を求めず、日本分裂を防ぎ助けてくれました>
”徳が高い道徳・徳性・人徳・美徳
2)人を感化する人格の力 めぐみ、神仏の加護
3)利益、もうけ、富。
と広辞苑にありますが、ここでは(1)として考えてみたいと思います。
健康・経済・人間関係など、生存条件に恵まれて順調に「この世」を生きておられる人を、”あの人は得な(徳な)人だと世間では言います。
でも、世の中ではそんな人ばかりではありません。つらい、苦しい、痛い、悩ましい人も、金銭問題で苦労する人もあります。
また、同じように「人間」として地球上に生まれて来たのに、愛情・経済・健康・和に恵まれた素晴らしい境遇に生まれてくる人もあれば、厳しい、つらい、苦しい環境のもとに生まれてくる人もあります。
人間は平等だ!といいます。が、地球上の現実に目をやれば、一人ひとり、まったく平等ではありません。 私は医師ですので、肉体面、健康面について考えてみたいのですが、この面でも、人間はまったく平等ではありません。丸々と太って健康に生まれてくる人もあります。生存ぎりぎりの病弱体質で生まれてくる人もあります。<ただし、弱く生まれてきた人でも、心がけと努力次第で、百歳まで生きた人もおられます(以前に書きました)ので、これまた「不思議、フシギ!」という気がしていますが・・・。
非常に経済的に社会的に厳しい環境に生まれた人でも、天下を取った秀吉さんや、世界的な富豪の仲間入りされた松下さんや、日本一の多額納税者になられた斉藤一人さんなど、運命を好転された方がおられます。
そうしてみますと、「努力と心がけ」次第で、健康も運命も経済も、いくらでも向上してくるのですねー。
人間は平等である、というのは、わたしは「いのちの尊厳性」において平等である!と考えています。いのちの尊厳性はみな平等なのです。<だから、お互いに尊敬しあわねばならない!>
だが、地球上の物質的条件や肉体的な条件は一人ひとりみな違う!
なぜか!?現代の唯物論の社会では、この答えを出すことはできませんが、私が今まで学んだり考えたり教わったり読んだりしたことから考えますと、「人間には”生まれ変わり”がある。前世をいかに生きたか、によって、”この世”の運命が(一応)定められる」という結論が出ます。
押しつけもできませんが、なにかのご参考になりましたら嬉しいです。
「天の倉に徳を積む」
「徳あるは褒むべし、徳無きは憐れむべし」
「徳は孤ならず、必ず隣あり」
「徳をもって怨みに報いる」<昭和20年の終戦時、中華民国の蒋介石総統は、こう言って、日本からの賠償を求めず、日本分裂を防ぎ助けてくれました>
2011年9月30日金曜日
「山歩き」
生駒山(大阪と奈良の境にある信貴生駒連山)の麓の町(旧枚岡市、今東大阪市)に住んで50年近くになります。「俺の親父は生駒山・・・」という演歌がありますが、朝夕、生駒山を眺めながら生活しています。緑の山は、目に優しく、酸素を放出してくれ、自然の生き物をはぐくんでいます。
四季の変化も、自然と人生を感じさせてくれます。
山麓には、もう25年も通っているテニスコートもあります。
10月の末に上高地を少し長く歩く予定ですので、その予行演習に、山歩き用の靴を買って、半ドンの水曜日に、生駒山の三合目にある展望台まで歩いてきました。
階段が長いこと、坂道が案外急なことに驚きました。
だいぶ前、黒部ダムの長い階段(500段くらいある)で一苦労したことを思い出しました。
なんとか息も切らさず、足も傷めず、展望台に着きました。(生駒山の中腹にあるのかと思いましたら、帰って地図を見ましたら、三合目あたりでした!?)
何人かの人が、ベンチに座ったり、裸になってシャツを乾かしたりしていました。
枚岡と東大阪が眼下に広がり、壮大な眺めでした。
帰り道は、膝に気をつけながら、ゆっくりと降りてきました。
ウオーキングが流行っています。健康の保持には大変いいことですが、山歩きはさらに一歩二歩進んだ健康法だ、と感じました。
足腰の鍛錬、心肺機能の増進、森林浴、意志の鍛錬、自然に対する畏敬の念の増加・・などなど、心身の健康に寄与することが大であると感じました。
病気の方は、まずそれを治されるのが第一ですが、歩ける、動ける方は、折があったら山歩きにトライされたらいかがでしょうか。
”先生、イノシシが出まっせ!”と言ってくれた人がありましたが、このたびは出ませんでした。
鳥の鳴き声が一度も聞こえなかったのは、秋のせいだったのでしょうか?
四季の変化も、自然と人生を感じさせてくれます。
山麓には、もう25年も通っているテニスコートもあります。
10月の末に上高地を少し長く歩く予定ですので、その予行演習に、山歩き用の靴を買って、半ドンの水曜日に、生駒山の三合目にある展望台まで歩いてきました。
階段が長いこと、坂道が案外急なことに驚きました。
だいぶ前、黒部ダムの長い階段(500段くらいある)で一苦労したことを思い出しました。
なんとか息も切らさず、足も傷めず、展望台に着きました。(生駒山の中腹にあるのかと思いましたら、帰って地図を見ましたら、三合目あたりでした!?)
何人かの人が、ベンチに座ったり、裸になってシャツを乾かしたりしていました。
枚岡と東大阪が眼下に広がり、壮大な眺めでした。
帰り道は、膝に気をつけながら、ゆっくりと降りてきました。
ウオーキングが流行っています。健康の保持には大変いいことですが、山歩きはさらに一歩二歩進んだ健康法だ、と感じました。
足腰の鍛錬、心肺機能の増進、森林浴、意志の鍛錬、自然に対する畏敬の念の増加・・などなど、心身の健康に寄与することが大であると感じました。
病気の方は、まずそれを治されるのが第一ですが、歩ける、動ける方は、折があったら山歩きにトライされたらいかがでしょうか。
”先生、イノシシが出まっせ!”と言ってくれた人がありましたが、このたびは出ませんでした。
鳥の鳴き声が一度も聞こえなかったのは、秋のせいだったのでしょうか?
2011年8月31日水曜日
「為せば成る」<やればできる>
前回の「世界の果て 行ってQ」で、18歳の盲目の女性と「イモト」の二人が、アフリカ最高峰、キリマンジャロ(5895m)の登頂に成功したテレビが放映されました。
<ちなみに、イモトは二回目です。こんなこと=盲目の女性を誘導する=がなければ、二度と行きたくなかった(大変、辛く苦しい山であった・・・)、と、イモトの言葉にありました>
健常者の登頂率が50%とのことです。
この山は、エベレストほどの極限性はありませんが、山頂の空気は平地の60%で、前回は、強壮のカメラマンがリタイヤしています。
半年前から、低酸素室で訓練し、現地でも時間をかけて登られたようですが、二人とも凄い!よくやられた!と、テレビを見ながら、感心・感動の連続でした。
本人の努力も凄いが、イモトのサポートも凄い<さりげなく凄い!!>
イモトのリュックの後ろについた紐を、女性が握って進むのですが、往路も帰路も、イモトは、重いとも、辛いとも、強く引っ張るなとも、何も言わずに淡々と終始していました。
<みなさん、ちょっとした山でも、同じことをしてみてください。後ろから引っ張られたら、どんなに重いか、辛いか、苦しいか、よくわかります>
”私は、必ず目が見えるようになります。そしたら、もう一度この山に登って、感動をふたたび味わいたいです!!”と、この女性は言っておられました。
「何かやる!」「目標を作って、やり遂げる!」ことが、人生において大事なことであり、必要なことである、と改めて強く感じたことです。
ちなみに、この若い女性は、今回の壮挙以前にも、津軽海峡(狭いところで18km)を泳いで渡ったり、トライアスロンも完走したりされているようです。
「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も、成らぬは人の 為さぬなりけり」の古歌を、ふと思い出すことであります。
何を為すか?は、その人の「遺伝と教育と教養と環境」によって決まるのでしょう。が、
何でもいい、人様に迷惑がのかかることでなかったら、仕事に、勉強に、娯楽に、教養に、運動に、読書に、音楽に、旅行に、「したいこと」を沢山、精いっぱいして、人生を充実させたいものであります。
<ちなみに、イモトは二回目です。こんなこと=盲目の女性を誘導する=がなければ、二度と行きたくなかった(大変、辛く苦しい山であった・・・)、と、イモトの言葉にありました>
健常者の登頂率が50%とのことです。
この山は、エベレストほどの極限性はありませんが、山頂の空気は平地の60%で、前回は、強壮のカメラマンがリタイヤしています。
半年前から、低酸素室で訓練し、現地でも時間をかけて登られたようですが、二人とも凄い!よくやられた!と、テレビを見ながら、感心・感動の連続でした。
本人の努力も凄いが、イモトのサポートも凄い<さりげなく凄い!!>
イモトのリュックの後ろについた紐を、女性が握って進むのですが、往路も帰路も、イモトは、重いとも、辛いとも、強く引っ張るなとも、何も言わずに淡々と終始していました。
<みなさん、ちょっとした山でも、同じことをしてみてください。後ろから引っ張られたら、どんなに重いか、辛いか、苦しいか、よくわかります>
”私は、必ず目が見えるようになります。そしたら、もう一度この山に登って、感動をふたたび味わいたいです!!”と、この女性は言っておられました。
「何かやる!」「目標を作って、やり遂げる!」ことが、人生において大事なことであり、必要なことである、と改めて強く感じたことです。
ちなみに、この若い女性は、今回の壮挙以前にも、津軽海峡(狭いところで18km)を泳いで渡ったり、トライアスロンも完走したりされているようです。
「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も、成らぬは人の 為さぬなりけり」の古歌を、ふと思い出すことであります。
何を為すか?は、その人の「遺伝と教育と教養と環境」によって決まるのでしょう。が、
何でもいい、人様に迷惑がのかかることでなかったら、仕事に、勉強に、娯楽に、教養に、運動に、読書に、音楽に、旅行に、「したいこと」を沢山、精いっぱいして、人生を充実させたいものであります。
2011年7月31日日曜日
長寿遺伝子の発現
「健康・経済・和」が整うことが、今、地球に生きる人間にとって大切なアイテムでありますが、中でも大事なのは健康で、それに長寿が伴えば最高でありましょう。
「健康と長寿」は、遺伝によるものか、努力にゆるものか、といろいろ言われていますが、結論的にいえば、その両方による!ものでありましょう。<最近は、「努力」のほうが大きいのではないか、という気もしています>が、その「努力」も、質と方向性と量、さらには、「楽しく努力」しなかったら実りにくい!という話も聞きます(斎藤一人さんの説)
運命的なことを、全部”遺伝”と片づけてはいけないような気がしています。
「どれだけ努力しているか!!」と、折々考えるといいですねー。
前向きに、明るく楽しく努力していたら、そしてその”努力”を続けたら、努力に応じて、いい結果が出、いい人生が展開するのではないでしょうか。
最近、遺伝子のオン・オフということがよく言われます。
「人間」の中には、その人間発生(いつのことでしょうか??)から今日までのすべての遺伝が詰まっています。たぶん、ありとあらゆる遺伝子があると思います。
その中から、いいものが出てきたら”シアワセ!” 良くないものが出てきたら”フシアワセ!”という結果を招くのだと思いますが・・・。
それが「人間の考え方と生き様」によるようであります。
が、いいものが出てきて、シアワセが続くと、人間はなぜか努力を怠るようであります。
悪いものが出てきても、考え、反省し、明るい前向きな努力を続けると「いい結果」がでてくるでしょう。
<悪いことが起こって難儀した、でも、そのおかげで、結果的に良くなった!!となるといいですね!>
遺伝にこだわらず、「今」、最善の努力をすることが「いい遺伝子」の発現に繫がるのだと思います。
以上、一般論ですが、最近、アメリカで、「長寿遺伝子」の発現についての研究があります。
アメリカ、ウイスコンシン大学で25年研究されました。
同じ条件のカニクイザルで実験した。A群は普通量の餌を与えた。B群は30%少ない餌を与えた。
その結果、A群は年齢相当に老化(毛が抜け、皮膚がたるみ、顔も姿勢も衰えた)が見られたが、B群にはそれらの老化現象が少なく、若々しく元気であった、という結果が得られたそうです。
カロリー制限が、活性酸素の発生を減少させ、全身の細胞のン若返りを招いた結果だと考えられている。
「サーチュイン遺伝子(長寿遺伝子)」が、2000年、アメリカ マサチュウセッツ大学の研究所で発見された。これは、血管の老化を遅らせる、遺伝子の修復、寿命を延ばす・・などの働きがあるそうです。
サーチュインが働くためには「少食・減食」がいいのだそうです。
現代、日本や欧米では「飽食」で、それでサーチュインが働かない(結果的に長生きできない!?)のだそうです。
7週間、食事の量と質に気をつけると、6倍から10倍、サーチュインが増えるのだそうです。
そして、健康と長寿を願うなら、30歳代か40歳代で始めたほうがよい、ということです。
<年齢は関係なく、「気づいた」人が、今から、始められたらいいのでは・・・と思います>
今、日本や欧米では飽食の時代で、少年や青年の「成人病傾向」(高脂血症・かくれ肥満・脂肪肝・背骨の湾曲・皮膚の異常などなど)が懸念されることです。
戦時中の少食(なにしろ食料が無かった!!)で育ってきた70-80-90歳代の方たちがいなくなったら、日本人の平均寿命が激減する(「41歳寿命説」)という話もあります。
食事に感謝し、健康に感謝し、平和に感謝し、できれば、「長寿遺伝子」を発現させて生きたいものであります。
「健康と長寿」は、遺伝によるものか、努力にゆるものか、といろいろ言われていますが、結論的にいえば、その両方による!ものでありましょう。<最近は、「努力」のほうが大きいのではないか、という気もしています>が、その「努力」も、質と方向性と量、さらには、「楽しく努力」しなかったら実りにくい!という話も聞きます(斎藤一人さんの説)
運命的なことを、全部”遺伝”と片づけてはいけないような気がしています。
「どれだけ努力しているか!!」と、折々考えるといいですねー。
前向きに、明るく楽しく努力していたら、そしてその”努力”を続けたら、努力に応じて、いい結果が出、いい人生が展開するのではないでしょうか。
最近、遺伝子のオン・オフということがよく言われます。
「人間」の中には、その人間発生(いつのことでしょうか??)から今日までのすべての遺伝が詰まっています。たぶん、ありとあらゆる遺伝子があると思います。
その中から、いいものが出てきたら”シアワセ!” 良くないものが出てきたら”フシアワセ!”という結果を招くのだと思いますが・・・。
それが「人間の考え方と生き様」によるようであります。
が、いいものが出てきて、シアワセが続くと、人間はなぜか努力を怠るようであります。
悪いものが出てきても、考え、反省し、明るい前向きな努力を続けると「いい結果」がでてくるでしょう。
<悪いことが起こって難儀した、でも、そのおかげで、結果的に良くなった!!となるといいですね!>
遺伝にこだわらず、「今」、最善の努力をすることが「いい遺伝子」の発現に繫がるのだと思います。
以上、一般論ですが、最近、アメリカで、「長寿遺伝子」の発現についての研究があります。
アメリカ、ウイスコンシン大学で25年研究されました。
同じ条件のカニクイザルで実験した。A群は普通量の餌を与えた。B群は30%少ない餌を与えた。
その結果、A群は年齢相当に老化(毛が抜け、皮膚がたるみ、顔も姿勢も衰えた)が見られたが、B群にはそれらの老化現象が少なく、若々しく元気であった、という結果が得られたそうです。
カロリー制限が、活性酸素の発生を減少させ、全身の細胞のン若返りを招いた結果だと考えられている。
「サーチュイン遺伝子(長寿遺伝子)」が、2000年、アメリカ マサチュウセッツ大学の研究所で発見された。これは、血管の老化を遅らせる、遺伝子の修復、寿命を延ばす・・などの働きがあるそうです。
サーチュインが働くためには「少食・減食」がいいのだそうです。
現代、日本や欧米では「飽食」で、それでサーチュインが働かない(結果的に長生きできない!?)のだそうです。
7週間、食事の量と質に気をつけると、6倍から10倍、サーチュインが増えるのだそうです。
そして、健康と長寿を願うなら、30歳代か40歳代で始めたほうがよい、ということです。
<年齢は関係なく、「気づいた」人が、今から、始められたらいいのでは・・・と思います>
今、日本や欧米では飽食の時代で、少年や青年の「成人病傾向」(高脂血症・かくれ肥満・脂肪肝・背骨の湾曲・皮膚の異常などなど)が懸念されることです。
戦時中の少食(なにしろ食料が無かった!!)で育ってきた70-80-90歳代の方たちがいなくなったら、日本人の平均寿命が激減する(「41歳寿命説」)という話もあります。
食事に感謝し、健康に感謝し、平和に感謝し、できれば、「長寿遺伝子」を発現させて生きたいものであります。
2011年5月31日火曜日
ビタミンB1の重要性について
(線が正しい大きさです)
中学校の春の身体検査が終わりました。
追加検査した人のほとんどが「ビタミンB1欠乏」の症状を持っていました。
このままでは、勉強と運動に、本人も辛かろうし、将来も問題が多くのこるのではなかろうか??と気になることです。で、ビタミンB1について考察を試みました。
1) ビタミンB1の働き・・・新陳代謝を整える 抗脚気作用 筋肉(心臓を含めて)の働きを円滑にする 体内循環に寄与する
2) VB1を多く含む食物・・・玄米(胚芽米) 麦(大麦・小麦・ライ麦) 豆類(大豆・小豆・黒豆など) 豚肉 酵母など。
3) VB1を奪うもの(体内で)・・・甘いもの(白砂糖・ケーキ・ジュース・果物など) 白米食、白パン、すべてのアルコール飲料、肉体の運動と労働、精神的ストレス、睡眠不足、寒暑のストレスなどなど。
4) VB1の欠乏症状・・・軽度=全身倦怠 寝起きが悪い 肩こり 筋肉の疲労と痛み(それが取れにくい) やる気が減る いらいらしやすくなる
高度=これらの症状がひどくなる 心臓の動悸が増える 下腿の浮腫 食欲の低下 神経痛・筋肉痛・関節痛などが起きやすい 脳の症状が起きることがある(ウェルニッケ脳症)
医学的(検査的)には、肺動脈第二音の亢進、最低血圧の下降、胸部レントゲンで心臓陰影の右方拡大(心臓肥大)、筋肉の圧痛など。
アキレス腱反射は、初め亢進、末期にはマヒなどを認めます。
5) VB1の補給・・・VB1を多く含む食物(上記)を摂る。
<現代医学的な治療には、VB1剤の服用や注射もありますが、これらがどれだけ有用で有効であるのか!?私も長年医療に携わっていますが、今もってこの点に関してははっきりした結論を持ちません>
ビタミン剤の内服で効果が出ない場合、”あなたはビタミンを吸収しない体質だ!?と言われるようですが、真実は・・・??>
とにかく、VB1は食品から摂る、のが一番のようです。
6) VB1の一日の必要量は「1mg}と言われます。
自然の食品から摂ればそれだけでいいのですが、吸収の問題と、消費(砂糖やアルコールとのバランスの問題があります。3mg摂っても、消費が5mgなら2mgの不足!?ということになります。
健康で、まったく無症状の人は、今のままの食生活を続けられたらいいし、上記の症状がある方は、食生活の改善に努力されたらいいのだと考えます。(薬品とサプリは、そのあとに考えてください)
7) 「ビタミンB1」の歴史
鎌倉時代までは、日本人は「玄米食」で、体も大きく立派(このころの鎧と兜をつけ、刀を持ったら、現代の日本人は動けない!?と聞きました)でしたが、江戸時代の中期(八代将軍吉宗のころ)より白米食となり、体格も体位も落ち、いわゆる”江戸患い=脚気=”が起こったといいます。(このころから白砂糖の消費も増えてきたようです)
それから、日本では戦争の時代<この時代は、食料も少なかったが、病気も少なかった!!>を過ぎて、今、食糧は豊かで(本当は日本の食料自給率は40パーセント!?)、さらには「飽食」の時代を迎えています。
ここで大切なのは、好きなものばかり食べないで、栄養のバランスを心がけることでありましょう。
8) まとめ・・・現代の日本では、ほとんどの家庭で、当然のように「白米」を食べ、甘いケーキやジュースを沢山飲み食いしている現状であります。もっと脚気が増え、問題となってもいいと思うのですが、なかなか話題に上がりません。が、私は、顕性のものは少ないが、隠れた(潜在性)の「VB1欠乏症」は意外と多いのではなかろうかと考える昨今であります。
もう一つ、現代の日本で、VB1のない「白米」をほとんどの家庭で食べながら、昔のように「脚気」と呼ばれる病気が少ないのは、食生活の変化の結果で、主食の「米」を食べる量が少なく、副食物が多いからではないだろうか・・・と考える昨今であります。
今、アメリカのハーバード大学で、日本の玄米(3割混ぜる)の効用について(健康にいい!!)論文が出ているようです。中卒で日本一の多額納税者になられた斎藤一人さんも、健康のために「白米に玄米3割混」を説いておられます。私も実行しています。
これを教えてあげた60歳の主婦の人が、四か月で心臓の肥大が縮小した(体も軽くなり、肩こりも良くなった)例もあります。なにか感じられた”方は、お試しになってみてください。
特に、「お子様の健康と食生活」について考えてあげてくださることを、切に願っています。
2011年4月30日土曜日
「生と死」 「生命学」
「生を明らめ 死を明らめるは、仏家一大事の因縁なり」とは、永平寺を開かれた(1244年)道元禅師の言葉です。仏家でなくても、地球上に生を受けた者すべてにとって最重要なことではなかろうかと、折々に考えることです。
が、これは、なかなか大変なことですねー。
人間が「自分」を意識するのは4-5歳のことでしょうが、それでも、自分と、親と、身近の友達を認識するのがやっとでありましょう。
<お釈迦さんは、生まれてすぐ、天地を指差して「天上天下 唯我独尊」と言われたそうですが・・・>
現代社会では、成長するにつれて、中学・高校・大学と沢山の勉強をさせられますが、真の生命学や死生学は、一般の授業のカリキュラムにはあまり出てきません。
現代の科学で証明ができないことが、学問の体系に乗らないからだと考えますが、世界的に見れば、「神霊学」とか「神智学」として沢山の国で、大学で、研究されているようであります。
「生と死」を自意識に乗せて真剣に考えたのは、日本では”戦国時代”からではないかという気がします。戦争が多発した。殿の命令で、いつ戦地に赴くかわからない。(中には、殿から”死を賜る”ということもある!?)
だから、「武士道とは 死ぬことと見つけたり」(葉隠)と言われたのでありましょう。
そのあと、「死」に真剣に直面されたのは、昭和19年ごろ(終戦前)の特攻隊の方々でありましょう。
<生死の極限状態に置かれながら、自分のことは思わず、国や家族のことを願われた心情は、九州や長野に、遺書として残されています>
今、日本におきましては、平和であります、豊かであります、自由であります。
<六十数年前には、これら、シアワセの条件は大変少ないものでありました。が、ココロは、現代よりも幸せであったのではないだろうか・・??という気がしています。最近やたらと増えた殺人事件も、その頃はほとんどありませんでした>
それは、「欲(物欲)」が無かった(少なかった)からではないだろうか、と今、ふと考えています。
生命の神秘、人間は奇跡的存在、につきましては、以前に書きました。
現代の唯物論社会では、人間は肉体であるととらえていますが、「人間の本質はイノチ(物質の肉体の奥にある真実の生命体)」なのではないでしょうか。
「イノチ」が、肉体という地球服をまとい、ココロを使い、言葉を発し、修行のために「社会」を生きてゆく・・・のが「人間」の真実ではないだろうかと考えることです。
キャンデイズの一員として日本中知らない人はなかった田中好子さんが、55歳で乳ガンで亡くなられました。39歳で発病されながら、16年、精いっぱい生きられました。
<ちなみに、ガンは、手術をして5年生存したら”治った!”ということになっているのですがねー!?>
亡くなられる少し前、”私も一生懸命、病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。そのときは必ず天国で、被災(注、東北大震災の)された方のお役に立ちたいと思います。それが私の務めと思っています・・・”というメッセージを残されています。
自分の生命が燃え尽きようとしているときに、こんな(人類救済の)言葉が出るのは、「菩薩」ですねー。
沢山の人を喜ばし、しかも死の寸前に、世のため人のためにと願う言葉を出すようなスゴイ人が、どういてガンで死ななければならなかったのかと、カミサマに尋ねたい心境であります。
<私は、今この文章を書きながら、ふと、”この体験で、彼女の一つの「業」が消えたのかなあ・・?”という気がしています>
学問的なことは何もわからなくても、太陽を拝み、空気や水や食料に感謝し、人々と仲良く、日々、「有難う、ありがとう!!」と生きる人は、生命の本質を体得しておられるのかなー、とも考えることです。
が、これは、なかなか大変なことですねー。
人間が「自分」を意識するのは4-5歳のことでしょうが、それでも、自分と、親と、身近の友達を認識するのがやっとでありましょう。
<お釈迦さんは、生まれてすぐ、天地を指差して「天上天下 唯我独尊」と言われたそうですが・・・>
現代社会では、成長するにつれて、中学・高校・大学と沢山の勉強をさせられますが、真の生命学や死生学は、一般の授業のカリキュラムにはあまり出てきません。
現代の科学で証明ができないことが、学問の体系に乗らないからだと考えますが、世界的に見れば、「神霊学」とか「神智学」として沢山の国で、大学で、研究されているようであります。
「生と死」を自意識に乗せて真剣に考えたのは、日本では”戦国時代”からではないかという気がします。戦争が多発した。殿の命令で、いつ戦地に赴くかわからない。(中には、殿から”死を賜る”ということもある!?)
だから、「武士道とは 死ぬことと見つけたり」(葉隠)と言われたのでありましょう。
そのあと、「死」に真剣に直面されたのは、昭和19年ごろ(終戦前)の特攻隊の方々でありましょう。
<生死の極限状態に置かれながら、自分のことは思わず、国や家族のことを願われた心情は、九州や長野に、遺書として残されています>
今、日本におきましては、平和であります、豊かであります、自由であります。
<六十数年前には、これら、シアワセの条件は大変少ないものでありました。が、ココロは、現代よりも幸せであったのではないだろうか・・??という気がしています。最近やたらと増えた殺人事件も、その頃はほとんどありませんでした>
それは、「欲(物欲)」が無かった(少なかった)からではないだろうか、と今、ふと考えています。
生命の神秘、人間は奇跡的存在、につきましては、以前に書きました。
現代の唯物論社会では、人間は肉体であるととらえていますが、「人間の本質はイノチ(物質の肉体の奥にある真実の生命体)」なのではないでしょうか。
「イノチ」が、肉体という地球服をまとい、ココロを使い、言葉を発し、修行のために「社会」を生きてゆく・・・のが「人間」の真実ではないだろうかと考えることです。
キャンデイズの一員として日本中知らない人はなかった田中好子さんが、55歳で乳ガンで亡くなられました。39歳で発病されながら、16年、精いっぱい生きられました。
<ちなみに、ガンは、手術をして5年生存したら”治った!”ということになっているのですがねー!?>
亡くなられる少し前、”私も一生懸命、病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。そのときは必ず天国で、被災(注、東北大震災の)された方のお役に立ちたいと思います。それが私の務めと思っています・・・”というメッセージを残されています。
自分の生命が燃え尽きようとしているときに、こんな(人類救済の)言葉が出るのは、「菩薩」ですねー。
沢山の人を喜ばし、しかも死の寸前に、世のため人のためにと願う言葉を出すようなスゴイ人が、どういてガンで死ななければならなかったのかと、カミサマに尋ねたい心境であります。
<私は、今この文章を書きながら、ふと、”この体験で、彼女の一つの「業」が消えたのかなあ・・?”という気がしています>
学問的なことは何もわからなくても、太陽を拝み、空気や水や食料に感謝し、人々と仲良く、日々、「有難う、ありがとう!!」と生きる人は、生命の本質を体得しておられるのかなー、とも考えることです。
2011年3月31日木曜日
「感情の種々相」
人間の「こころ」の動きには、「意志、感情、想念」があり、「智・情・意」とも表現されます。
「人間は感情の動物」という言葉もあります。みな人間活動には大切ですが、今日は”感情”について考えてみましょう。
「いい感情」・・・嬉しい・楽しい・いい気持・有難い・温かい・穏やか・シアワセ・・・など。「悪い感情」・・・悲しい・苦しい・いやな気持・恨めしい・冷たい・いらいら・不幸せ・・・など。ですが、人間には、誰も、その両方があります。そして、それらが、人生を毎日生きて行く上において、さまざまな事象を基にして、次々と湧きあがってきます。
感情が湧きあがってくるのは、1) 健康問題 2) 人間関係 3) 金銭関係 4) 肉体関係 5)社会問題・・などをモトにしています。いい感情が起こっているときは、そのままの状態の維持と発展に努力したあいい。が、悪い感情が起こったときは、よく考え、反省もし、勉強もし、また信用のおける人と相談もし、それを「良い感情」に変換する努力が必要であります。 人生航路には、今言ったさまざまな「人生問題」が起きてきます。<問題の度に、感情が動きます>
”問題の出ない人生はない” ”解決のできない問題は出ない!”といいます。短気にならないで、自己中心的にならないで、問題の円満な解決に努力し、”いろいろあって悩んだが、努力して良くなった!”<問題が起きて良かった!>というような結果になればいいですねー。
人間関係の問題が起きた、そして感情が乱れたときに、どのように解決するかが、今後のお互いの人生の「幸・不幸」を分けます。多くに人は、”自分が正しい(相手が悪い)”と言うでしょうが、はたして本当にそうなのか?冷静に判断することが大切です。 「A・B二者間に問題が起きた時は、両者の中間に立って、双方を”神の目”で等しく見る」ことが大切である!と、人生大学の師から教わりました。これは素晴らしい教えだと、問題が起きた折々に実行しています。
それでも解決策が見つからないときは、現状において最善を尽くすように努力していると、いい結果が導き出されるように感じています。
誤解や、勘違いや、見極めるめの曇りや、一方的な感情でトラブルが起きることもありましょうが、相手を責めず、あいての幸せを願って行動していたら、いつか「お互いに幸せな」状態が生まれて来るのではないでしょうか。
お互いの意志の疎通を妨げるものに”生い立ちの相違”と”前世の因縁”といったものもあるように感じていますが、「現状において、お互いの幸せのために最善を尽くす」努力を続けていたら、いつか関係や感情が好転するのではなかろうか・・・と考えることです。
いい感情は、喜び感謝して、さらに努力を続ける。悪い感情が起こったら、反省し、考え、良いほうに切り替えるように努力するといいですねー。「難あり、有難し!!」と生きたいものであります。 なお、「悪い感情」が起こっても、すぐ消えれば悪い影響はありませんが。強く、長く続くと、感情の種類と強さと遺伝がからんで、体のどこかに異常が起きてくる確率が高いようです<心身医学>お互いに気をつけてまいりたいものであります。
「人間は感情の動物」という言葉もあります。みな人間活動には大切ですが、今日は”感情”について考えてみましょう。
「いい感情」・・・嬉しい・楽しい・いい気持・有難い・温かい・穏やか・シアワセ・・・など。「悪い感情」・・・悲しい・苦しい・いやな気持・恨めしい・冷たい・いらいら・不幸せ・・・など。ですが、人間には、誰も、その両方があります。そして、それらが、人生を毎日生きて行く上において、さまざまな事象を基にして、次々と湧きあがってきます。
感情が湧きあがってくるのは、1) 健康問題 2) 人間関係 3) 金銭関係 4) 肉体関係 5)社会問題・・などをモトにしています。いい感情が起こっているときは、そのままの状態の維持と発展に努力したあいい。が、悪い感情が起こったときは、よく考え、反省もし、勉強もし、また信用のおける人と相談もし、それを「良い感情」に変換する努力が必要であります。 人生航路には、今言ったさまざまな「人生問題」が起きてきます。<問題の度に、感情が動きます>
”問題の出ない人生はない” ”解決のできない問題は出ない!”といいます。短気にならないで、自己中心的にならないで、問題の円満な解決に努力し、”いろいろあって悩んだが、努力して良くなった!”<問題が起きて良かった!>というような結果になればいいですねー。
人間関係の問題が起きた、そして感情が乱れたときに、どのように解決するかが、今後のお互いの人生の「幸・不幸」を分けます。多くに人は、”自分が正しい(相手が悪い)”と言うでしょうが、はたして本当にそうなのか?冷静に判断することが大切です。 「A・B二者間に問題が起きた時は、両者の中間に立って、双方を”神の目”で等しく見る」ことが大切である!と、人生大学の師から教わりました。これは素晴らしい教えだと、問題が起きた折々に実行しています。
それでも解決策が見つからないときは、現状において最善を尽くすように努力していると、いい結果が導き出されるように感じています。
誤解や、勘違いや、見極めるめの曇りや、一方的な感情でトラブルが起きることもありましょうが、相手を責めず、あいての幸せを願って行動していたら、いつか「お互いに幸せな」状態が生まれて来るのではないでしょうか。
お互いの意志の疎通を妨げるものに”生い立ちの相違”と”前世の因縁”といったものもあるように感じていますが、「現状において、お互いの幸せのために最善を尽くす」努力を続けていたら、いつか関係や感情が好転するのではなかろうか・・・と考えることです。
いい感情は、喜び感謝して、さらに努力を続ける。悪い感情が起こったら、反省し、考え、良いほうに切り替えるように努力するといいですねー。「難あり、有難し!!」と生きたいものであります。 なお、「悪い感情」が起こっても、すぐ消えれば悪い影響はありませんが。強く、長く続くと、感情の種類と強さと遺伝がからんで、体のどこかに異常が起きてくる確率が高いようです<心身医学>お互いに気をつけてまいりたいものであります。
2011年3月30日水曜日
「感情」の種々相
人間の「こころ」の動きには、「意志、感情、想念」があり、「智・情・意」とも表現されます。
「人間は感情の動物」という言葉もあります。みな人間活動には大切ですが、今日は”感情”について考えてみましょう。
「いい感情」・・・嬉しい・楽しい・いい気持・有難い・温かい・穏やか・シアワセ・・など。「悪い感情」・・・悲しい・苦しい・いやな気持・恨めしい・冷たい・いらいら・不幸せ・・など。ですが、人間には誰にも、両方あります。そして、それらが、人生を、毎日生きていく上において、さまざまな事象のもとに、もろもろと湧きあがってきます。
感情が湧きあがってくるのは、1 健康問題 2 人間関係 3 金銭関係 4 肉体関係 5 社会問題・・などをモトにしています。いい感情が起こっているときは、そのままの状態の維持と発展に努力したらいい。が、悪い感情が起こった時は、よく考え、反省もし、勉強もし、また信用のおける人と相談もし、それを「良い感情」に変換する努力が必要です。 人生行路には、今言ったさまざまな「人生問題」が起きてきます。<問題の度に感情が動きます>
”問題の出ない人生はない” ”解決のできない問題は出ない!”といいます。短気にならないで、自己中心的にならないで、問題の円満解決に努力し、”いろいろあった悩んだが、努力して良くなった!”<問題が起きて良かった!>というような結果を招きたいものであります。
人間関係の問題が起きた<感情が乱れた>ときに、どのように解決するかが、今後のお互いの人生の幸不幸を分けます。
多くの人は、”自分が正しい、(相手が悪い!)”と言いますが、はたして本当にそうなのか?冷静に判断することが大切です。
「A・B二者間に問題が起きた時は、両者の中間に立って、双方を”神の目”で見る」と良いと、人生大学の師から教わりました。これは素晴らしい教えだと、問題が起きた折々に実行しています。
<解決策が見つからないときは、現状において最善を尽くす!ように生きていると、いい結果が導き出されると思います>
誤解や、勘違いや、一方的な感情でトラブルが起きることもありましょうが、相手を責めず、相手の幸せを願って行動していたら、いつか「お互いに幸せな」状態が生まれてくるのではないでしょうか。
お互いの意志の疎通を妨げるものに”生い立ちの相違”と”前世の因縁”もあるように感じていますが、「現状において、お互いの幸せのために最善を尽くす」努力をしていたら、いつか関係や感情が好転するのではなかろうか・・と考えることです。
「悪い感情」は、起きてすぐ消えたら、ほとんど悪影響はありませんが、強く、長く続くと、体のどこかに<その人の遺伝と感情の種類によって>異常(病気)を引き起こします。
胃潰瘍・ぜんそく・心臓病・高血圧・咽頭炎・脳出血・ガンなど、沢山の病気が「心身症」として起きると現代医学でも認められています。<心身医学>
「悪い感情は”命取り”」と、大いに気をつけて生きていれば、良い健康や運勢が出現したり維持できたりするものと考えます。 いい感情は、喜び感謝して、さらに努力を続ける。悪い感情が起こったら、反省し考え、良いほうに切り替えるといいですねー。「難あり 有難し!!」と生きたいものであります。
「人間は感情の動物」という言葉もあります。みな人間活動には大切ですが、今日は”感情”について考えてみましょう。
「いい感情」・・・嬉しい・楽しい・いい気持・有難い・温かい・穏やか・シアワセ・・など。「悪い感情」・・・悲しい・苦しい・いやな気持・恨めしい・冷たい・いらいら・不幸せ・・など。ですが、人間には誰にも、両方あります。そして、それらが、人生を、毎日生きていく上において、さまざまな事象のもとに、もろもろと湧きあがってきます。
感情が湧きあがってくるのは、1 健康問題 2 人間関係 3 金銭関係 4 肉体関係 5 社会問題・・などをモトにしています。いい感情が起こっているときは、そのままの状態の維持と発展に努力したらいい。が、悪い感情が起こった時は、よく考え、反省もし、勉強もし、また信用のおける人と相談もし、それを「良い感情」に変換する努力が必要です。 人生行路には、今言ったさまざまな「人生問題」が起きてきます。<問題の度に感情が動きます>
”問題の出ない人生はない” ”解決のできない問題は出ない!”といいます。短気にならないで、自己中心的にならないで、問題の円満解決に努力し、”いろいろあった悩んだが、努力して良くなった!”<問題が起きて良かった!>というような結果を招きたいものであります。
人間関係の問題が起きた<感情が乱れた>ときに、どのように解決するかが、今後のお互いの人生の幸不幸を分けます。
多くの人は、”自分が正しい、(相手が悪い!)”と言いますが、はたして本当にそうなのか?冷静に判断することが大切です。
「A・B二者間に問題が起きた時は、両者の中間に立って、双方を”神の目”で見る」と良いと、人生大学の師から教わりました。これは素晴らしい教えだと、問題が起きた折々に実行しています。
<解決策が見つからないときは、現状において最善を尽くす!ように生きていると、いい結果が導き出されると思います>
誤解や、勘違いや、一方的な感情でトラブルが起きることもありましょうが、相手を責めず、相手の幸せを願って行動していたら、いつか「お互いに幸せな」状態が生まれてくるのではないでしょうか。
お互いの意志の疎通を妨げるものに”生い立ちの相違”と”前世の因縁”もあるように感じていますが、「現状において、お互いの幸せのために最善を尽くす」努力をしていたら、いつか関係や感情が好転するのではなかろうか・・と考えることです。
「悪い感情」は、起きてすぐ消えたら、ほとんど悪影響はありませんが、強く、長く続くと、体のどこかに<その人の遺伝と感情の種類によって>異常(病気)を引き起こします。
胃潰瘍・ぜんそく・心臓病・高血圧・咽頭炎・脳出血・ガンなど、沢山の病気が「心身症」として起きると現代医学でも認められています。<心身医学>
「悪い感情は”命取り”」と、大いに気をつけて生きていれば、良い健康や運勢が出現したり維持できたりするものと考えます。 いい感情は、喜び感謝して、さらに努力を続ける。悪い感情が起こったら、反省し考え、良いほうに切り替えるといいですねー。「難あり 有難し!!」と生きたいものであります。
2011年2月27日日曜日
「無事 無難」「事故 災難」
前に「無事はこれ貴人なり」という記事を書きました。
「平穏無事」に生きられたら、しあわせですねー、嬉しいですねー、有難いですねー。
でも、人生は、無事・無難ばかりではないですねー。
天変・地災・人災がいつ何時起こるかもしれません。向こうからやってくるものもありましょうし、こちらが招く(知らずでも)こともありましょう。
事故・災難の記事は、毎日、新聞やテレビで報道されています。
今は、ニュージーランドの地震が大変ですが、交通事故・火災・人災・戦争(外国ですが)・国内の騒乱が毎日のように報道されています。
この地震でも、助かった人もあれば、瓦礫の下敷きになった不幸な方もあるようです。
災難発生時の「幸・不幸」を分けるのは何でしょうかねー。
一般的には「運が良かった、運が悪かった」でかたずけられるようですが、その「運の良し悪し」は誰が決めるのかなー・・・とも考えることです。
私自身も、水難・火難・大けが・歯の異常などで、何度か大変な状況がありました。広島原爆投下の前の晩に、広島から疎開して助かっています。(その日・その時に広島に出かけて被爆された方もおられます)(毎日、その時間に広島に着くのに、列車に乗り遅れて助かった方もおられるようです)
南米に旅行中の学者が、お腹を壊して飛行機に乗り遅れたのですが、乗るはずだった飛行機は、山中に墜落し、全員死亡された・・という記事も見ました。
日航機の墜落でも、キャンセルして助かった人、そのキャンセルの切符を手に入れて事故に遭った人もあったようです。
僕の兄も、軍医で、北支からニューギニヤに移動するとき、乗る予定の船に乗れず、次の船になったそうです。乗る予定だった船は撃沈され全員死亡しましたが、兄の乗った船は無事ニューギニヤに着いたそうです<ただ、そこでも食料に困り、とかげを食ったりして飢えをしのいだ、と聞きました>
改めまして、「事故や災難はどうして起きるのか??」
1 自分の問題ーー不注意・わがまま・勝手・向う見ず・無思慮・無分別・飲酒
2 周囲の問題ーー”相手からされた!”ということがありますが、これも、自分の不注意から招いたことが多いのではないかと考えます。
3 良くなるための試練ーー「難あり、有難し!」と、出てきた問題を受け止め、プラスの増加に努めれば、心身と社会性の向上になり、「人生」が良くなるのではないでしょうか。
4 因縁消滅<前世の問題>ーー「自分は何も悪いことはしていないのに、こんな目に遭った・・・」という時には、自分が気ずかない原因もあるかもしれませんが、「前世の問題の解消のための試練」と受け止めるのがベストのように思います。<今、現世があるのは、前世があったから、ではないでしょうか!><何もなしに、ポーンと出てきたのではないように思うのですが、皆様はいかがお考えでしょうか!>
<最近、霊的な問題の著書を多く見かけるようになりました。これも”縁””求める”という基本がありますが、”真実を求めて”いれば、いつか、どこからか、答えが得られるように思っています>
事故や災難を防ぐには、「自然性の増加と調和」<心・食事・生活・運動・人間関係などについて>が第一と考えます。一人ひとり、この「生命維持の基本的要因」が整えば、健康・寿命・幸福の増加と、事故・災難の減少に繫がるのではないだろうか、と考えることです。
「平穏無事」に生きられたら、しあわせですねー、嬉しいですねー、有難いですねー。
でも、人生は、無事・無難ばかりではないですねー。
天変・地災・人災がいつ何時起こるかもしれません。向こうからやってくるものもありましょうし、こちらが招く(知らずでも)こともありましょう。
事故・災難の記事は、毎日、新聞やテレビで報道されています。
今は、ニュージーランドの地震が大変ですが、交通事故・火災・人災・戦争(外国ですが)・国内の騒乱が毎日のように報道されています。
この地震でも、助かった人もあれば、瓦礫の下敷きになった不幸な方もあるようです。
災難発生時の「幸・不幸」を分けるのは何でしょうかねー。
一般的には「運が良かった、運が悪かった」でかたずけられるようですが、その「運の良し悪し」は誰が決めるのかなー・・・とも考えることです。
私自身も、水難・火難・大けが・歯の異常などで、何度か大変な状況がありました。広島原爆投下の前の晩に、広島から疎開して助かっています。(その日・その時に広島に出かけて被爆された方もおられます)(毎日、その時間に広島に着くのに、列車に乗り遅れて助かった方もおられるようです)
南米に旅行中の学者が、お腹を壊して飛行機に乗り遅れたのですが、乗るはずだった飛行機は、山中に墜落し、全員死亡された・・という記事も見ました。
日航機の墜落でも、キャンセルして助かった人、そのキャンセルの切符を手に入れて事故に遭った人もあったようです。
僕の兄も、軍医で、北支からニューギニヤに移動するとき、乗る予定の船に乗れず、次の船になったそうです。乗る予定だった船は撃沈され全員死亡しましたが、兄の乗った船は無事ニューギニヤに着いたそうです<ただ、そこでも食料に困り、とかげを食ったりして飢えをしのいだ、と聞きました>
改めまして、「事故や災難はどうして起きるのか??」
1 自分の問題ーー不注意・わがまま・勝手・向う見ず・無思慮・無分別・飲酒
2 周囲の問題ーー”相手からされた!”ということがありますが、これも、自分の不注意から招いたことが多いのではないかと考えます。
3 良くなるための試練ーー「難あり、有難し!」と、出てきた問題を受け止め、プラスの増加に努めれば、心身と社会性の向上になり、「人生」が良くなるのではないでしょうか。
4 因縁消滅<前世の問題>ーー「自分は何も悪いことはしていないのに、こんな目に遭った・・・」という時には、自分が気ずかない原因もあるかもしれませんが、「前世の問題の解消のための試練」と受け止めるのがベストのように思います。<今、現世があるのは、前世があったから、ではないでしょうか!><何もなしに、ポーンと出てきたのではないように思うのですが、皆様はいかがお考えでしょうか!>
<最近、霊的な問題の著書を多く見かけるようになりました。これも”縁””求める”という基本がありますが、”真実を求めて”いれば、いつか、どこからか、答えが得られるように思っています>
事故や災難を防ぐには、「自然性の増加と調和」<心・食事・生活・運動・人間関係などについて>が第一と考えます。一人ひとり、この「生命維持の基本的要因」が整えば、健康・寿命・幸福の増加と、事故・災難の減少に繫がるのではないだろうか、と考えることです。
2011年1月30日日曜日
「しあわせ」考
”山のあなたの空遠く 幸い住むと人の言う・・・”
「しあわせ」は、子供たちが食卓について、おいしい美味しいと言ってご飯を食べる時。(万葉の歌人)
「故郷に帰れて、家族があって、絵を描けて、ワインが飲めて、こんなに幸せはない・・・」(シベリア抑留から無事帰国されたある画家の言葉)
「百万石の知行とるよりあなたのそばで、手鍋さげても暮らしたい」
「王様、なにもいただかなくてもいいですが、そこをどいてください(日が当たらなくて困るから)」<王様が褒美を取らせると訪れた、樽に住む哲学者の言葉)
「しあわせは歩いて来ない だから歩いていくんだよ・・・」(三百六十五日のマーチ)
「しあわせ」は、いつ、どうして感じるのでしょうか。
現実的なしあわせーー難病が治った時、困っていたお金が入った時、人間関係のトラブルが解消されたとき、いい職場が見つかったとき、欲しいものを買ってもらった時・・・など。
精神的なしあわせーー人のお役に立った時、誰かを喜ばせたとき、”ああ、よくやったなー”というほど努力したとき・・・などのときに感じるものでありましょう。
でも、その「感じ方」は人さまざまであります。
小さな幸せを大きく喜ぶ人もあれば、大きな(と見える)幸せを、そんなに喜んでいない(ように見える)人もあるようであります。まあ、「喜び」は主観的なものでしょうから、第三者がうんぬんするものではありませんが、この「喜びの表現」が、その人の運命を形造るようであります<喜べば、さらに喜びが増える!>
何かを得た時、人は喜びを感じますが、なにも得なくても「当たり前」=見える・聞こえる・歩ける・食べられる・考えられるなどなど=」を喜ぶ心がある人は”シアワセ!”ですねー。
これらができなくなった時のことを考えれば、「当たり前」がどれほど「幸せな状態」であるかがわかります。<現に、今まで元気で、沢山食べ、沢山飲んでいた人が、食べられなくなって、悩んでいる人があります。病院で手術した、名医にかかっている、本人も医師である。なかなか良くならない。それではどうしたら良いのか・・・?>
「人生の課題」ですねー。その課題を円満にクリアーしたとき、その人には「健康」(当たり前であった)が再び訪れることでしょう。
「心の目」を開け!!といいますねー。
心の目を開く、とは、いろいろの表現があると思いますが、私は「天・地・人と自分を取り巻く一切に感謝」の心が湧くと、「心の目」が開けるのだと思います。そして、感謝の心を「表現」することが大切であります。ちょっとのことでいいのです。言葉で、笑顔で、態度で、手紙で、メールで、相手に、関係者に、関連機関(ユニセフなど)に「表現」したらいいのですねー。
「人生の日々、”何を表現したか”ということで、またその連続と積み重ねで、人生が築かれる!!」
と思う昨今であります。
「しあわせ」は、子供たちが食卓について、おいしい美味しいと言ってご飯を食べる時。(万葉の歌人)
「故郷に帰れて、家族があって、絵を描けて、ワインが飲めて、こんなに幸せはない・・・」(シベリア抑留から無事帰国されたある画家の言葉)
「百万石の知行とるよりあなたのそばで、手鍋さげても暮らしたい」
「王様、なにもいただかなくてもいいですが、そこをどいてください(日が当たらなくて困るから)」<王様が褒美を取らせると訪れた、樽に住む哲学者の言葉)
「しあわせは歩いて来ない だから歩いていくんだよ・・・」(三百六十五日のマーチ)
「しあわせ」は、いつ、どうして感じるのでしょうか。
現実的なしあわせーー難病が治った時、困っていたお金が入った時、人間関係のトラブルが解消されたとき、いい職場が見つかったとき、欲しいものを買ってもらった時・・・など。
精神的なしあわせーー人のお役に立った時、誰かを喜ばせたとき、”ああ、よくやったなー”というほど努力したとき・・・などのときに感じるものでありましょう。
でも、その「感じ方」は人さまざまであります。
小さな幸せを大きく喜ぶ人もあれば、大きな(と見える)幸せを、そんなに喜んでいない(ように見える)人もあるようであります。まあ、「喜び」は主観的なものでしょうから、第三者がうんぬんするものではありませんが、この「喜びの表現」が、その人の運命を形造るようであります<喜べば、さらに喜びが増える!>
何かを得た時、人は喜びを感じますが、なにも得なくても「当たり前」=見える・聞こえる・歩ける・食べられる・考えられるなどなど=」を喜ぶ心がある人は”シアワセ!”ですねー。
これらができなくなった時のことを考えれば、「当たり前」がどれほど「幸せな状態」であるかがわかります。<現に、今まで元気で、沢山食べ、沢山飲んでいた人が、食べられなくなって、悩んでいる人があります。病院で手術した、名医にかかっている、本人も医師である。なかなか良くならない。それではどうしたら良いのか・・・?>
「人生の課題」ですねー。その課題を円満にクリアーしたとき、その人には「健康」(当たり前であった)が再び訪れることでしょう。
「心の目」を開け!!といいますねー。
心の目を開く、とは、いろいろの表現があると思いますが、私は「天・地・人と自分を取り巻く一切に感謝」の心が湧くと、「心の目」が開けるのだと思います。そして、感謝の心を「表現」することが大切であります。ちょっとのことでいいのです。言葉で、笑顔で、態度で、手紙で、メールで、相手に、関係者に、関連機関(ユニセフなど)に「表現」したらいいのですねー。
「人生の日々、”何を表現したか”ということで、またその連続と積み重ねで、人生が築かれる!!」
と思う昨今であります。
登録:
投稿 (Atom)