2011年1月30日日曜日

「しあわせ」考

”山のあなたの空遠く 幸い住むと人の言う・・・”
「しあわせ」は、子供たちが食卓について、おいしい美味しいと言ってご飯を食べる時。(万葉の歌人)
「故郷に帰れて、家族があって、絵を描けて、ワインが飲めて、こんなに幸せはない・・・」(シベリア抑留から無事帰国されたある画家の言葉)
「百万石の知行とるよりあなたのそばで、手鍋さげても暮らしたい」
「王様、なにもいただかなくてもいいですが、そこをどいてください(日が当たらなくて困るから)」<王様が褒美を取らせると訪れた、樽に住む哲学者の言葉)
「しあわせは歩いて来ない だから歩いていくんだよ・・・」(三百六十五日のマーチ)

「しあわせ」は、いつ、どうして感じるのでしょうか。
現実的なしあわせーー難病が治った時、困っていたお金が入った時、人間関係のトラブルが解消されたとき、いい職場が見つかったとき、欲しいものを買ってもらった時・・・など。
精神的なしあわせーー人のお役に立った時、誰かを喜ばせたとき、”ああ、よくやったなー”というほど努力したとき・・・などのときに感じるものでありましょう。

でも、その「感じ方」は人さまざまであります。
小さな幸せを大きく喜ぶ人もあれば、大きな(と見える)幸せを、そんなに喜んでいない(ように見える)人もあるようであります。まあ、「喜び」は主観的なものでしょうから、第三者がうんぬんするものではありませんが、この「喜びの表現」が、その人の運命を形造るようであります<喜べば、さらに喜びが増える!>

何かを得た時、人は喜びを感じますが、なにも得なくても「当たり前」=見える・聞こえる・歩ける・食べられる・考えられるなどなど=」を喜ぶ心がある人は”シアワセ!”ですねー。
これらができなくなった時のことを考えれば、「当たり前」がどれほど「幸せな状態」であるかがわかります。<現に、今まで元気で、沢山食べ、沢山飲んでいた人が、食べられなくなって、悩んでいる人があります。病院で手術した、名医にかかっている、本人も医師である。なかなか良くならない。それではどうしたら良いのか・・・?>
「人生の課題」ですねー。その課題を円満にクリアーしたとき、その人には「健康」(当たり前であった)が再び訪れることでしょう。

「心の目」を開け!!といいますねー。
心の目を開く、とは、いろいろの表現があると思いますが、私は「天・地・人と自分を取り巻く一切に感謝」の心が湧くと、「心の目」が開けるのだと思います。そして、感謝の心を「表現」することが大切であります。ちょっとのことでいいのです。言葉で、笑顔で、態度で、手紙で、メールで、相手に、関係者に、関連機関(ユニセフなど)に「表現」したらいいのですねー。
「人生の日々、”何を表現したか”ということで、またその連続と積み重ねで、人生が築かれる!!」
と思う昨今であります。

0 件のコメント: