2013年1月3日木曜日

2013(平成25年)の新年を迎えて

正月は、「めでたくもあり、めでたくもなし」と、ヘソが少し曲がった先人は言っておられます。
が、やはり「めでたい」のが本当ではないかと思います。
めでたくないのは、その人が、一生懸命に生きなかったのか、試練を十分に解決できなかったからではないでしょうか。
問題を解決できなくても、一年生きられた!ということは、やはり「素晴らしい!」ことではないでしょうか。
寒さに震えた人でないと、太陽の暖かさは感じられない!飢えに苦しんだ人でないと、食物の有難さは感じられない、逆境に苦しんだ人でないと”当たり前の有難さ”は感じられない・・・と言います。
一年を苦しんで生きた人は、一日・ひと月・一年の、意味と、重みと有難さを、ひしひしと感じられたのではないでしょうか。そこに喜びと感謝が生まれた人は、これからの人生が、さらに有難く、有意義に展開してくるのではないでしょうか。

「難あり、有難し!!」 で、「難」は、これからの人生において、成長・進歩・発展するための「天の試練」なのではないだろうか、という気がします。

ただ、「難」も、人生の修行になる「難」と、自分の不用意な未熟な言動から招いた「つまらない難」もあるように思います。日頃、ちょっと心がけたいものであります。

先ほど、自宅のカラオケ・マシンで、7-8曲歌ってきました。点数は、78から94。「歌」の話はまたいつかしたいと思っていますが、歌(演歌)を一曲歌うと、100メートル走ったのと同じカロリーを使う!と聞いたことがあります。よかったらお試しください。

日本では、平和な、一応豊かな正月でしたが、世界的には、騒乱の地もあるようです。
「国家安泰・世界平和」そして「家内安全」と願うことです。

今年も、一年、頑張ってまいりましょう!!

2012年12月2日日曜日

人生=仕事・休養・愛情・信仰

この表題は、アメリカの心理学者の言葉です。
この四つがすべて同じ長さ(量)で整うと、「丸い、いい人生」になるのだそうです。
折々に考えますが、本当にいい言葉だなーと思うことです。

今の日本人で考えますと、仕事は多すぎる、休養は少ない、愛情は??、信仰はほとんどゼロ!?で、丸いどころかまったくの変形を描いているようであります。
”それでもいいじゃないか・・・”という考え方もありましょう。そうです。それでもいいんでしょう。が、できうるならば、丸=円満、完全、調和=のほうがいいような気がしています。

個人の思考と言葉と行為の値打ちを決める(決まる)のは、カンオケに片足を突っ込んだときに、自他が(閻魔さんが)決めることなのかなー、と考えることです。

すべてプラスの人はいないでしょう。すべてマイナスの人もいないでしょう。
人生の折々に考えて、プラスの多い人生を歩みたいものと考える今日この頃であります。
<悪いことを五つしたら、いいことを六つしたらいい、という話も耳にしたことがあります>
<「悪いこと」の定義が難しいですが・・・>

自分の人生の積み重ねを持って「あの世」に行く・・・と一人さんは言っておられます。
今の「この世」も、前世とこの世での自分の思考と行動の結果のようであります。
「この世」と「あの世」は同じである・・・という話も耳にします。

・・・と、また結論のない、一人ひとりの考えがみな違うことを書きましたが、これは、各自が考える問題のようですねー。

毎日毎日、人生!人生!と考えすぎるのもちょっとオカシイですが、まったく考えないのもオカシイのではないでしょうか。
日々ちょっと努力して、心がけて、自他ともに嬉しい、暖かい、いい気持ちな人生を歩んでいきたいものであります。

2012年10月31日水曜日

「嬉しい・楽しい」

「シアワセ」の要素は、個人の、肉体面、物質面、社会面(家庭、学校、職場など)において、いろいろのものがあるでしょうが、精神面において「嬉しい・楽しい」は大きな要素でありましょう。

「無財の七施」という言葉があります。お金は無くても、世のため人のために七つのいいことができる、という言葉ですが、これに関連して「無財の七喜」というのはどうでしょうか。
1 生きている「今」を喜ぶ。
2 家がある
3 食物がある
4 衣服がある
5 仕事がある
6 家族がある
7 平和な国家がある・・ことを喜ぶ!!

現代の日本においては、これらの条件が満たされていることは、ほとんど”当たり前”ですが、(当たり前すぎて、喜ぶ人が少ない!?)僕の子供の時は、これらの条件は非常に少なかったものです。
だから、「今」の状況が素晴らしい!と感じていますが、今の子供たちや、5-60歳までの人たちは、どう思っているのかなーと、ふと考えることであります。

「自然」を自覚するために、何もない部屋を作って、時々そこで生活せよ、という教えがあります。
一か月に一日は断食せよ、という教えもあります。これは、体のためにも、人生を自覚するためにもいいことではなかろうか、と考えています。
<日曜日は「二食」にする(時に断食する)、というのも、健康にも運命にもいいことだと考えています>

仕事に精を出す、家庭を整える、健康に気を付ける、自分以外の人の幸せを考える、などと生きていましたら、いつのまにか「嬉しい・楽しい」ことが増えるのではないでしょうか。

何年ぶりかで、テニスのラケットを一本買いました。なんともいえず嬉しかったです。
(また、そのラケットの当たりが素晴らしい!!)
健康でいれるのが有難い!仕事ができるのが有難い!家族が元気なのが嬉しい。自然な環境の中でテニスができるのが嬉しい!・・・と、強く感じた10月30日(火)でありました。



 

2012年9月30日日曜日

「しぜん」「自然」

しぜん、自然、とは、「広辞苑」によれば、(1)(ジネンとも)おのずからそうなっているさま。天然のままで、人為の加わらないさま。あるがまのさま。(2)ア)「哲」(physis(ギリシャ)・natura(ラテン)nature(イギリス・フランス) 人工・人為になったものとしての文化に対し、尽力によて変更・形成・規制されることなく、おのずからなる生成・展開によって成りいでた状態。超自然や恩寵に対していう場合もある。
イ)おのずからなる生成・展開を惹起させる本具の力としての、ものの性(たち)。
本性。本質。
ウ)山川・草木・海など、人類がそこで生まれ、生活してきた場。特に、人が自分たちの生活の便宜からの改造の手を加えていない物。また、人類の力を超えた力を示す森羅万象。
エ)精神に対し、外的経験の対象の総称。・・・<まだ沢山あるのですが、以下省略します>

私が今までの人生で感じたことを申し上げますと、
1)肉体的自然・・・痛いところがない、どこもよく動く(頭、手足、心臓、胃腸、腎臓など)
2)精神的自然・・・いい気持ちで生きていられる、喜びと感謝がある、なにか世のため人のために役立ちたいと思っている、折に触れて「自然」を感じている、
3)社会的自然・・・人間も、国家も、世界も仲よく生きていく、
4)天地の(地球の)自然
5)自然性の尊重の心と行い、
6)自然の中に身を置きたい願望と行動がある・・・
などを感じ、自然性の増加を願って行動している人は「自然」に生き、生かされている人かなー、と感じています。

今日で9月も終わり、あと3か月で今年も終わります。
月日の経つのも「自然」ですねー!
日々、嬉しく、楽しく、有難く、元気で、仲よく、世のため人のために少しでも役立ちながら生きていけたら”しあわせ”だなーと考えることであります。

2012年8月28日火曜日

「生きざま」

地球上の人間(約65億)の一人一人に「人生」があり「生きざま」があります。
すざまじい人生を生きる人もあれば、穏やかな人生を生きる人もあります。
長生きな人生もあれば、短命な人生もあります。さらに、幸福な人生と不幸な人生、豊かな人生と貧しい人生、愛に満ちた人生と愛に恵まれない人生、自分以外の人の幸せを願う人生と、自分のことばかり考える人生、健康な人生と病弱な人生、穏やかな人生と波乱万丈の人生・・・
なんと様々な人生があるものだなーと、改めて感心しています。

人間は平等である!といいますが、これは「生命の尊厳性」において平等なのであって、地球上に生きる人間はまったく平等ではありません。
その根源的な意味は確定しにくいことですが、「前世」と、この世の「生きざま」の結果ではないだろうか・・・と考える昨今であります。

私は、現在、立派な人に比べるとささやかですが、比較的に安定な(健康、仕事、医師会、看護学院、家庭、スポーツなど)状態にあるなーと、今感じています。
が、今日までの人生を考えますと「大変な」ことも沢山ありました。
生死の境も数回経験しました。が、おかげさまで<何のおかげかなーと、折々に考えることです>
現在は、無事、健康で、生活にも困らず(贅沢はできませんが)、妻子も健康で、毎日の診療生活ができています。ささやかなレジャーも楽しめています。
長年の経験を生かした「健康生活」発信に、ホームページとブログを立ち上げています。
<ご縁の方々に見ていただけたら嬉しいです>
有難いなー!!と思う毎日であります。

嬉しく、楽しく、有難く、元気で、仲よく生き、ささやかでも「世のため人のためにお役にたてるように」生きていこうと考えながら努力中でございます。




2012年7月18日水曜日

苦と楽

人生には、苦と楽、幸福と不幸、健康と病気、豊かさと貧しさ、喜びと悲しみなどが現れてくるようです。なぜそのような相反する事象が起こるのかは、はっきりとは断言できませんが、先祖代々の遺伝と、自分の前世においての行為の結果と、その人の「この世における考え方と努力(心と言葉と行い)」の結果ではなかろうかと、折々に考えることです。

これらの中の、「いいこと」ばかりがあれば”幸せ””ラッキイ”ですが、どうも、人生にはこの両方が、その折々に現れてくるようであります。
「いいことが起こる」のは、ご先祖の徳、親の徳、前世での善行、この世での徳積み・・・などの結果ではないだろうか、と、折々に、また”ふと”、考えることです。

いいことが起こったら「喜び感謝する」 良くないことが起こったら、反省し好転の努力をする、と、人生は(運命は)いいほうに進んでいく!と考える昨今であります。
「難あり、有難し!」(黒住宗忠)という教えもあります。
難儀が起こった時、「天の試練!」「良くなるチャンス!」と受け止めて、明るく努力すれば、幸せな、より良い人生が展開するのではないでしょうか。
不平不満で努力を怠れば、もっと悪い状況を招くのではないでしょうか。

良くない状況が起きた時、”天の試練!良くなるチャンス”もっと悪いよりマシ!”と受け止めて努力すれば、前よりも良くなるのではないでしょうか。
<そしたら、天の神様が、祝福し、ニッコリ笑って見てくださるのではないでしょうか>

人間は平等である!と言います。が、現実はまったく平等ではありません。
でも、この「平等ではない姿」が平等なのではないか・・と考える昨今であります。
真面目に、明るく、仲よく、世のため人のために尽くした人と、ふぃしだらに、暗く、争い、攻め、自分のことばかり考えて生きてきた人と、「同じ、平等」では、どう考えてみてもオカシイですねー。

そのような「自分と親と先祖」の、こころ・ことば・行いの積み重ねが人間の「現在」を形づくってているのではないだろうか、と考えることです。
五日市剛さんの「いいことがあったら”感謝します”良くないことが起こったら”有難う!”という言葉を思い出しています。

2012年6月17日日曜日

「いのち・人生・運命」の言葉

1 年ごとに 咲くや吉野の桜花(さくらばな) 木を割りて見よ 花のありかを (古歌)

2 「生を明らめ死を明らむるは、仏家一大事の因縁なり」 (道元)

3 「昨日は行き明日はまだ来ず、有難きかな今日のただ今」 (黒住宗忠)

4 「人間は 奇跡的存在である」 (最近の書物より)

5 「命を拝む」 (自分の、相手の、地球上のすべての人の)

6 「人間は神の子」 <神の膝に抱かれ、神の乳房を吸え>

7 「天に星 地に花 人に愛」 (武者小路実篤)

8 「人類は兄弟」 (人間は”縁”に生かされている)

9 誠は天の道なり これを誠にするは 人の道なり

10 「おもい」は実現する。いいことを思い、良くないことは思わないこと。

11 「良い言葉」を口にすること。悪い言葉は言わないこと。

12 目に光を 心に太陽を 唇に歌を持て

13 「食は命なり」 (水野南北)

14 「良き人に会い、良き縁に会い・・・」 (道元)

15 「いやなことがあったら”ありがとう!”と言う。「いいことがあったら”感謝します!と言う”
(五日市 剛=イスラエルの老婦人の言葉)

16 (いやなことや、つらいこと、苦しいことや、異常事態が起きたら)”面白いことが起きた!”と言ってみな。奇跡が起きるから (斉藤一人)

17 人間は感情の動物である。「感情のコントロール」が幸せへの第一歩。(秀)

18 「しあわせ」のコツは「今ある”良いもの”」に感謝すること。
<人間には、いいものが半分、良くないものが半分(5割)あると思う。いいほうを見て喜び感謝する人はシアワセ!良くなうほうを見て不平不満を言う人はフシアワセ!>

19 自分のことばかり考えないで、まず「人」の幸せを願って言動する。 (秀)

20 服装は、すっきり、爽やか、明るく。 (秀)

21 「まず身を起こし、笑顔を作れ」 大きな息をせよ!(最悪の状況で) (秀)

22 「君は君、われは我なり、されど仲良き」 (武者小路実篤)

23 「笑顔」は健康と幸せへの第一歩。 (秀)

24 心を起こそうと思ったら、まず身を起こせ (先哲の言葉)

今日までン十年の人生の中で、学び、考え、教えられた言葉です。この文章がお目に留まった方の(縁!)、人生のご参考に少しでもなれば嬉しいことです。