現代、スポーツと呼ばれるものは、健康のため、趣味のため、クラブ活動として、また職業として、またオリンピックに出るため、など沢山の種類があります。
私が今日までやってきたものは、正科としては剣道、させられたものはサッカー、自分でしたものは水泳などがあります。少年時代はまき割りや農業(勤労奉仕で)もしました。拭き掃除は祖母に褒められて、子供の時によくやりました。
ゴルフは16-7年しました。”こんな楽しいことは死ぬまでやめられない”と思っていましたが、50歳を過ぎたころ、体調の不良をきたしてやめました。
体調の回復とともに、卓球、バトミントン、軟式庭球を始めました。そして、この調子ならできそうだ!と硬式庭球をはじめました。それから早いもので20数年になります。
テニスは、楽しく、短時間で満足でき(午後のひと時にできます)、往復に時間がかかりません(今は片道5分)一人でもできます。二人でもできます。仲間が数人集まれば最高です。道具にあまりお金がかかりません。危険性がありません。
ゴルフでのナイスショットは、18ホールを回って、まあ数回でしょうが(われわれレベル?)、テニスのそれは、2時間で何十回もあります。(ある女性プレイヤーが、いい当たりをしたら快感だわー!と言ったことがあります)
ゴルフをした十数年、私はそれで健康になった記憶はありません。朝早く家を出、一日中クラブをさげて歩き周り、暗くなって家に帰る・・・と、疲れた記憶が多く残っています。家庭サービスも怠っていました。
が、テニスを始めて20数年、健康になりました!時間も少なくてすみます(週2回、一回2時間で充分楽しめます)
習い事にも運動にも、上手下手があります。スジの良しあしもあります。(師の良しあしもある?)
20数年やって、自分では中の下?くらいかなと思っています(上手な人から見たら下手、始めたばかりの人から見たらビックリするほどウマイ!)が、最近ラリー(二人で打ち合い)を始めた30歳の男性は、テニスを始めて1か月だというのに、僕とほぼ対等に打っています。
ハンサムで気立てのよい青年です。こんないい人がいるんだなーと、嬉しく驚きながらテニスを楽しんでいるところです。
火曜と金曜の午後、楽しい嬉しいテニスの時間ですが、時には雨の日もあります。
が、こんな日には、「晴耕雨読!」<晴れた日には畑を耕し、雨の日には読書を楽しむ>と、時間を有効に使うよう、心がけています。
テニスをすると利き手が長くなる!?と子供のころ耳にしましたが、経験的にそんなことはないようです。ご心配なく。
私が通っているテニスクラブでは、幼児や小学生がテニスを楽しそうにやっています。
こんないい環境でテニスのできる子供は幸せだなー、いい時代だなー、日本は平和だなー、と嬉しく思うことであります。
2011年11月4日金曜日
「徳」について
「徳」1)道を悟った立派な行為。善い行いをする性格。身についた品性。
”徳が高い道徳・徳性・人徳・美徳
2)人を感化する人格の力 めぐみ、神仏の加護
3)利益、もうけ、富。
と広辞苑にありますが、ここでは(1)として考えてみたいと思います。
健康・経済・人間関係など、生存条件に恵まれて順調に「この世」を生きておられる人を、”あの人は得な(徳な)人だと世間では言います。
でも、世の中ではそんな人ばかりではありません。つらい、苦しい、痛い、悩ましい人も、金銭問題で苦労する人もあります。
また、同じように「人間」として地球上に生まれて来たのに、愛情・経済・健康・和に恵まれた素晴らしい境遇に生まれてくる人もあれば、厳しい、つらい、苦しい環境のもとに生まれてくる人もあります。
人間は平等だ!といいます。が、地球上の現実に目をやれば、一人ひとり、まったく平等ではありません。 私は医師ですので、肉体面、健康面について考えてみたいのですが、この面でも、人間はまったく平等ではありません。丸々と太って健康に生まれてくる人もあります。生存ぎりぎりの病弱体質で生まれてくる人もあります。<ただし、弱く生まれてきた人でも、心がけと努力次第で、百歳まで生きた人もおられます(以前に書きました)ので、これまた「不思議、フシギ!」という気がしていますが・・・。
非常に経済的に社会的に厳しい環境に生まれた人でも、天下を取った秀吉さんや、世界的な富豪の仲間入りされた松下さんや、日本一の多額納税者になられた斉藤一人さんなど、運命を好転された方がおられます。
そうしてみますと、「努力と心がけ」次第で、健康も運命も経済も、いくらでも向上してくるのですねー。
人間は平等である、というのは、わたしは「いのちの尊厳性」において平等である!と考えています。いのちの尊厳性はみな平等なのです。<だから、お互いに尊敬しあわねばならない!>
だが、地球上の物質的条件や肉体的な条件は一人ひとりみな違う!
なぜか!?現代の唯物論の社会では、この答えを出すことはできませんが、私が今まで学んだり考えたり教わったり読んだりしたことから考えますと、「人間には”生まれ変わり”がある。前世をいかに生きたか、によって、”この世”の運命が(一応)定められる」という結論が出ます。
押しつけもできませんが、なにかのご参考になりましたら嬉しいです。
「天の倉に徳を積む」
「徳あるは褒むべし、徳無きは憐れむべし」
「徳は孤ならず、必ず隣あり」
「徳をもって怨みに報いる」<昭和20年の終戦時、中華民国の蒋介石総統は、こう言って、日本からの賠償を求めず、日本分裂を防ぎ助けてくれました>
”徳が高い道徳・徳性・人徳・美徳
2)人を感化する人格の力 めぐみ、神仏の加護
3)利益、もうけ、富。
と広辞苑にありますが、ここでは(1)として考えてみたいと思います。
健康・経済・人間関係など、生存条件に恵まれて順調に「この世」を生きておられる人を、”あの人は得な(徳な)人だと世間では言います。
でも、世の中ではそんな人ばかりではありません。つらい、苦しい、痛い、悩ましい人も、金銭問題で苦労する人もあります。
また、同じように「人間」として地球上に生まれて来たのに、愛情・経済・健康・和に恵まれた素晴らしい境遇に生まれてくる人もあれば、厳しい、つらい、苦しい環境のもとに生まれてくる人もあります。
人間は平等だ!といいます。が、地球上の現実に目をやれば、一人ひとり、まったく平等ではありません。 私は医師ですので、肉体面、健康面について考えてみたいのですが、この面でも、人間はまったく平等ではありません。丸々と太って健康に生まれてくる人もあります。生存ぎりぎりの病弱体質で生まれてくる人もあります。<ただし、弱く生まれてきた人でも、心がけと努力次第で、百歳まで生きた人もおられます(以前に書きました)ので、これまた「不思議、フシギ!」という気がしていますが・・・。
非常に経済的に社会的に厳しい環境に生まれた人でも、天下を取った秀吉さんや、世界的な富豪の仲間入りされた松下さんや、日本一の多額納税者になられた斉藤一人さんなど、運命を好転された方がおられます。
そうしてみますと、「努力と心がけ」次第で、健康も運命も経済も、いくらでも向上してくるのですねー。
人間は平等である、というのは、わたしは「いのちの尊厳性」において平等である!と考えています。いのちの尊厳性はみな平等なのです。<だから、お互いに尊敬しあわねばならない!>
だが、地球上の物質的条件や肉体的な条件は一人ひとりみな違う!
なぜか!?現代の唯物論の社会では、この答えを出すことはできませんが、私が今まで学んだり考えたり教わったり読んだりしたことから考えますと、「人間には”生まれ変わり”がある。前世をいかに生きたか、によって、”この世”の運命が(一応)定められる」という結論が出ます。
押しつけもできませんが、なにかのご参考になりましたら嬉しいです。
「天の倉に徳を積む」
「徳あるは褒むべし、徳無きは憐れむべし」
「徳は孤ならず、必ず隣あり」
「徳をもって怨みに報いる」<昭和20年の終戦時、中華民国の蒋介石総統は、こう言って、日本からの賠償を求めず、日本分裂を防ぎ助けてくれました>
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