2012年4月15日日曜日

「しあわせ」考

「しあわせ」とは、個人の価値観にの差により、いくらかの変化や差異はあるでしょうが、一般的に考えましたら、1(肉体と精神の)健康 2経済の安定 3人間関係の和(調和)が満たされている状態であり、さらに言えば、世のため人のために役立つ仕事をしている、ことも一つの大事な要素でありましょう。

この「しあわせ」を、人間は何歳ころから認識するのでしょうか?
早く認識、自覚するほど、立派な人間である、ように感じています。(最近は、幼稚園で「お父さん、お母さん、ありがとう!」と言わせるような教育をしているようですが・・・、果たしてどれだけ心からそう思っているのか、という気もします)<でも、そのように表現する習慣をつけることは、大切なことであると考えます>

今日も、NHKのど自慢に出演した若い人が、”お父さん(お母さん)ありがとう!”と、二三人言っておられました。素晴らしいことだなー、と感心しながら聞いていました。

「自覚し、表現する」ことが、人生において大切なことのようであります。
その「自覚」は、人生をいくらか生きて、一苦労、二苦労してから生まれるような気がしています。
”飢えた者でないと食物の有難さはわからない””寒さに震えた者でないと太陽の暖かさはわからない”という言葉があります。

幸せの表現は、笑顔で、言葉で、態度で、行動で、手紙で、表すものでありましょう。
小さなことでも、大きく幸せの感謝の表現ができたら、みんな、さらに「しあわせ」になれますねー。
自分も嬉しいですねー。
「嬉しく、楽しく、有難く」毎日を生きていたら、さらに大きな”しあわせ”が訪れるでしょう。

”喜べ、と言っても、何も喜ぶようなことは無いデー”という人もあるかもしれません。
でも、胸に手を当てて!考えてみてください。元気で生きているではありませんか。食物もあり、着るものもあり、住む家もあるではありませんか。勉強ができたり、仕事を持ったり、家族を持ったり、趣味や娯楽を楽しんだりしているではありませんか。
「それらができない」と考えてみてください。「今」の状態がどれほど「良い」か、わかるはずです。

その「しあわせ」の自覚と行動から、さらなる「しあわせ」の増大が生じることでありましょう。
矢作橋の下で菰をかぶって寝ていた少年(秀吉)はのちに天下を手に入れました<その時点での最高の幸せ>十代で厳しい労働をしていた少年(幸之助)は、のちに世界的富豪になられました。
ひがまず、ひるまず、「その時その時」に”幸せを感じながら”最善を尽くした結果でありましょう。

人間は、人生は、最低と思えるような条件でも、最高な条件を勝ち取ることができるのです。
今幸せな人は、その「しあわせ」を感謝しながら明るく生きていたら、さらなる”しあわせ”を得るでしょうし、”しあわせでない”と思ている人は、今一度「自分の、心と体と環境」の見直しをされ、いいところを発見され、それを伸ばしていく努力をされましたら、「いい人生」が展開してくるのではないかと考えます。<わかったような、ことを言っていますが、私も、日々、努力中です>